作家(翻訳者等含む):著/テッド・チャン 訳/浅倉久志・他 出版社:早川書房 出版年:2003
もし自分に自由がないと分かったら、人はどうするだろうか?
今回は、現役最高のSF作家の一人と表されるテッド・チャンによる中短編集をご紹介したい。
多くのSF作家と同様に彼もアシモフやクラークといった古典的SFから影響を受け、それを期に大学では物理学とコンピュータ・サイエンスを学んだ。大学卒業の翌年に発表されたのが収録短編「バビロンの塔」であり、デビュー作ながらアメリカのSF小説界で高名なネビュラ賞を受賞した。以降彼の作品は数々の賞を獲得し、幅広い支持を得ている。
さて、冒頭の質問は表題作「あなたの人生の物語」における最も重大なテーマだ。『メッセージ』(2017)という題で映画化されたこともあり、作者の代表作となっている。一見SF小説らしからぬ問いかけだが、言語学と物理学を紐解きつつ主人公ルイーズ・バンクスの軌跡を辿っていけば、この問いかけの意味が分かるだろう。読了後には、読者の意識に天変地異を起こすだろうこの作品について紹介する。
物語の展開は主人公ルイーズ・「わたし」が、彼女の娘である「あなた」へと語りかける形式で進められる。「あなた」との思い出に挟まれるように、「あなた」が生まれるきっかけとなった出来事が回想され、目まぐるしく時系列が変化していく。
きっかけは、突如到来したエイリアン・ヘプタポッドとの交流を図るために、言語学者であるルイーズがその言語を解析する役目に任じられたことだ。研究チームの同僚ゲーリーとの出会いもまた、その一端を担う。
ヘプタポッドの詳細については作品内で明かされ、また未来の読者の楽しみを奪わないためにも説明を省かせていただく。物理学や数学、言語学における専門的術語が多用され、またシーンも目まぐるしく変化するため、中編ながら複雑な物語だ。読解の鍵として、その言語を解読するうちに、ルイーズの認識がヘプタポッドの思考回路に影響されていくという点を念頭に置くと、より楽しめるだろう。
さて、若輩ながら西洋哲学を学ぶ私にとって興味深いのは、「因果論」と「合目的論」という概念が強く対比される点だ。
因果論は、原因Aが起こったことにより結果Bが引き起こされるという考え方である。Bは必ずAの後に生じる。原因がないのに結果だけがあるということはない。
対して合目的論は、ある事物Aが一定の目的Bに適って存在するという考え方だ。文字通り、目的に合うあり方をしているという意味である。この場合、目的Bがあって初めて事物Aがありうる。例えば、ハサミは「ものを切る」という目的に適した形状をしている。つまり、ものを切る目的ありきでハサミは存在するのだ。
比較すると、因果論と合目的論は、AとB、どちらが先んじるのかという点で相反する考え方であることが分かる。なぜこれが哲学的に興味深いのか。それは両者とも人間の「自由意志」に関する思想だからだ。
因果論では、私という人間が生まれ行為するのは、環境や親、大きくいえば自然法則という原因があるからだ。私が今うどんが食べたいと思ったとして、それは例えば昨日SNSでうどんの画像を見た・街で匂いを嗅いだのが無意識にはたらきかけるからと説明付ければ、私の意思は全て因果的に定められる。果たして私の意思は、本当の意味で自由と言えるのか。
しかし同様に、私に自由意志がないことを、合目的論からも説明可能だ。ユダヤ教やキリスト教的に言えば、神が私をそのようにつくられたから、神の目的に沿うように私は存在し行為する。
その考えに納得できるかはさておいて、重要なのは因果論も合目的論も“解釈”であるという点だ。どちらが正しい、間違っているという話ではない。
そもそも人間に真の意味での完全な自由があるのかという問いかけそれ自体に、人間は答えられない。そしてまた、完全な自由がないにしても、少なくとも私たちは日常生活においてはある程度自由に行為しているとも考えられる。
冗長になってしまったが「あなたの人生の物語」に立ち戻る。ルイーズはヘプタポッドの考え方を知ることで、この二つの思想に思い至る。どちらの思想を選択するというのではなく、両者を踏まえて、ルイーズという人間の自由な選択とは何なのかという本題へと踏み込む。そしてその時ルイーズに語りかけられる「あなた」は、何を思うだろうか。
因果論・合目的論という概念は、難解なストーリーを読み解くための、あるいは「あなた」に自由を考えさせるためのある種の道具立てだ。
チャンの作品の多くは、こうした科学技術や学問をツールとして用いた読者へのメッセージを含んでいる。今年文庫版の出版された、最新作品集『息吹』も併せてぜひチェックされたい。
書き手:小松貴海