著者:アーノルド・ローベル 三木卓訳 出版社:文化出版局 出版年:1972年
「がまくんとかえるくん」シリーズは、今年Apple TV+がアニメーション化をしたことで話題にもなった名作絵本だ。特に、シリーズ一作目『ふたりはともだち』に収録されている「おてがみ」は、小学校の教科書に長年掲載されており、読んだことのある人が多いのではないだろうか。私も小学校で「おてがみ」を読んだ子供の一人だったが、大人になった今、改めて本シリーズの魅力を考えてみたい。
作者のアーノルド・ローベルは1933年生まれ、アメリカ出身の絵本作家で、54年の短い生涯の間に100冊以上の絵本を世に送り出した。『ふくろうくん』(1987年、文化出版局)や『どろんここぶた』(1971年、文化出版局)など、子供心をうまく反映させたユニークな動物たちを描くのを得意とした。「がまくんとかえるくん」シリーズも、擬人化された2匹のカエルが主役の友情物語だ。シリーズは1970年から1979年まで制作され、日本では4冊の邦訳を読むことができる。
『ふたりはともだち』には、五つの短編が収録されている。いずれの話も、劇的な事件は描かれないが、ふたりの幼稚な行動にクスっと笑わされるともに、互いを思い合うふたりの友情に幸せな気持ちにさせられる内容だ。
さて、今改めて読んでみると、かえるくんとがまくんの性格の細やかな描き分けに驚かされる。かえるくんは、明るく活発。楽しそうなことに目がなく、常にがまくんを引っ張る存在だ。一方で、がまくんは心配性でマイペース。失くしてしまったボタンが見つからないことで大きく動揺するなど、少し神経質な面を持っている。性格の違いは、好意の示し方にも表れる。かえるくんの場合は、積極的にがまくんを遊びに誘うなど、わかりやすく好意が溢れている。一方がまくんの好意は、行動にじんわりと滲み出る。かえるくんのような積極性はないが、たしかに愛情が存在している。正反対ともいえる性格のふたりが、自然な形で互いを思い合っている様子は、読む者に肯定感をもたらしてくれる。性格が、愛し方が、違ってもいいと言われたようで、安心した気持ちになりはしないだろうか。
この物語のもう一つの魅力は、三木卓による上品な訳にある。滑稽さと美しさを併せ持つ本書の、美しさの部分はがまくんとかえるくんの間の、他の者が入る余地のない強い友情によってもたらされているのだが、その美しい世界観を支えるもののひとつが三木の訳文である。物語に特別大きな事件がないことは既に述べたが、ふたりの何気ない日常を丁寧な言葉が彩り、本書をより魅力的なものにしている。また、子供にとっては少し難しいかもしれない言葉があえて使われ、大人でさえもその詩的な言い回しにドキッとさせられる。たとえば、「はるがきた」という話に、次のような一節がある。
それからふたりは、はるになると、
よのなかがどんなふうに見えるか
それをしらべにそとへでていきました。(p15)
「はるがきた」は、冬眠から目覚めたかえるくんが、がまくんと早く遊びたい気持ちを抑えきれず、まだ眠たがるがまくんを起こそうと画策するストーリーだ。この一節はがまくんが起き、いよいよふたりで外に出かける場面である。かえるくんはがまくんと遊びたがっていたのだから、ふたりが遊びに出かけたという言い方でも良さそうなものだが、ここでは世の中がどんなふうに見えるかを調べに行ったと表現されている。冬が終わり、春が来たことの喜びが込められており、春という季節の特別さが演出されている。私は、雪の解けた地面から草花が顔をのぞかせ、土の香りを感じた時の、少しくすぐったいような気持ちの高まりを思い出さずにはいられない。同時に、季節の移り変わりを確かめるために外出するという行為の美しさに心を掴まれる。
本書が半世紀を超えて様々な世代に愛され続ける理由のひとつは、ローベルや三木が、子供の想像力や理解力の限界を決めつけずに、細やかな世界観を作り上げたことにあるのではないか。これから何十年、何百年先も、ふたりのカエルが愛され続けることを願ってやまない。
書き手:伊東愛奈