厚労行政事務、金融業務で功績 秋の叙勲、受章の知らせに喜び 野村氏、岡本氏へ栄誉

【名寄】

2023年秋の叙勲受章者が発表された。本紙管内からは、元厚生労働省医政局看護課長の野村陽子氏(72)=名寄市西12南10=が厚生労働行政事務功労で、道内在住の女性では唯一となる瑞宝小綬章、北星信用金庫理事長の岡本守氏(70)=名寄市東2南11=が金融業務功労で旭日双光章を受けることが決まった。2氏は自らの足跡を振り返りつつ晴れやかな表情を見せている。

野村陽子(のむら・ようこ)氏。1951年1月、横浜市の出身。73年3月聖路加看護大学卒業。
同年4月国立病院医療センター産婦人科病棟(助産師)、76年東京都新宿区保健所(保健師)、82年(財)東京都神経科学総合研究所(研究助手)、84年厚生省地域保健課保健指導室主査、94年同省医療課課長補佐、99年同省地域保健・健康増進栄養課保健指導官、2006年4月厚生労働省看護課長となり、11年3月に定年退職。
14年4月京都橘大学看護学部教授、16年4月岩手医科大学看護学部教授を経て、20年4月から名寄市立大学学長。
この間、1993年から1年間、米国アトランタにあるエモリー大学公衆衛生大学院に留学。2001年に法政大学大学院社会科学研究科で修士(政治学)、12年同大で博士(政治学)を取得した。
高校時代に進路を決定する際、学校の先生を目指すか、看護師を目指すかで悩んでいた時、当時の先生から、看護の方を勧められたこともあって、この道に進んだ。
厚生労働省(厚生省時代を含む)には通算で27年間勤務。
保健指導室の主査や保健師係長の時代は、全国の保健師の活動指針作成、看護師・保健師の養成施設などの許認可、保健師国家試験問題の作成に関することなどに携わった。
医療課の課長補佐時代は、「看護必要度創設の制度設計など、自分なりの工夫で新しい仕事ができた」と振り返る。その後も、訪問看護制度の創設など、ゼロから立ち上げる業務に従事。また、2年に1回の診療報酬改定の際は、深夜まで仕事をしていた。
課長時代は、新人看護師の離職を防ぐため、「保健師助産師看護師法」の改正を行い、努力義務ではあるが、新人看護師の研修制度を確立。また、いわゆる「朝レク」で大臣レクチャーなども経験した。
大地震の災害支援にも携わり、04年の新潟中越地震では、全国の保健師の派遣の調整など、11年の東日本大震災は、退職直前であったが、被災した看護師等の養成施設の支援などに駆けずり回った。
今回の受賞に際して、「まだ実感がない。自分には、関係ないと思っていた。厚生労働省で27年間やってきたことが評価され、うれしいです。周りの支えがあっての受賞です。感謝しかありません」と喜びを話していた。

岡本守(おかもと・まもる)氏。1953年9月、名寄市の生まれ。名寄高校、立命館大学経営学部卒。1976年4月、名寄信用金庫入庫。公園通支店長、士別支店長、旭川支店長を経て、2003年6月、常勤理事(旭川支店長委嘱)。07年10月、士別信金と合併。12年6月、北星信金理事長。
全国信用金庫協会人事教育委員、北海道信用金庫協会理事・人事教育委員長、名寄防犯協会・名寄地区防犯協会連合会会長名寄日台親善協会副会長など公職も多数。17年11月には業務精励(金融業)で黄綬褒章を受章。
大学卒業後は経済に関わる仕事がしたい―と、関西、関東の企業での就職を考えたが、生まれ故郷の名寄で―と、名寄信金に入庫。「就職後、地域の役に立てるという信金の良さを実感できた」という。
理事長就任時、スローガンに『三方よし プラスワン』を掲げた。「お客さま、地域、信用金庫に職員をプラスしたもので、皆さんに良くなってもらいたいという願いを込めた。信用金庫は地場の金融機関。地域の活性化を図ることが、私たちの使命だと思っている」。
これまでで最も印象深い出来事は、名寄信用金庫と士別信用金庫との合併という。「互いに同じ地盤ということもあり、地域のためになると合併した。その後、札幌にも進出できるなど、今の安定した経営につながっている」。
叙勲の知らせを受け、「大変光栄に思います。これも役職員、諸先輩、お客さまに支えられながらやってくることができたおかげと感謝している。大変な時代だが、こんなときこそ明るく、元気に笑顔で―を目標に、地域経済の活性化に取り組んでいければ」と語っている。