60年間、地域に文化の灯をともし続けてきた名寄市立智東小学校(児童8人)の実質的な廃校が決まった。1971年(昭和46年)11月14日、PTA総会を兼ねた地区総会が同校で開かれた結果、来年度から児童数が2人以下になる見通しにあるため、子どもの教育効果を考えた場合、廃校も仕方ない―と満場一致で父母の意思を統一した。
「最後の学芸会を開催することになりましたが、子どもたちは張り切って練習を重ねております」。智東小の開校60周年記念学芸会の案内状には、こう書かれていた。学芸会が敬老会を兼ね、14日に同校で開かれた。


(記者からの一言)
智東小は1912年(明治45年)1月、智東教育所としてスタート。終戦直後の食糧難時代には智東地区にも開拓者が入り、一時は106人の在校生を数えた時期もあった。
しかし、その後は離農などが相次ぎ、過疎化の波は激しい勢いに。71年度の児童8人のうち、来春に1人が卒業し、児童のいる家庭2戸も離農して名寄市街に出る。この転出により在校生は2人になってしまう。また1人も転出の可能性が高く、場合によっては一人ぼっちの学校になる見通しだった。
72年(昭和47年)3月21日に閉校式が行われ、地域の人たちも寂しそうな表情を隠しきれずにいた。
智東小の閉校後も離農が続き、80年代には無住の地となった。2006年(平成18年)3月18日にはJR智東駅も廃止された。
現在、智東地区には住友ゴム工業(ダンロップ)名寄タイヤテストコースや農地(畑)が広がるが、それ以外は原野となっている。