開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年

準急、急行列車が運行開始 都市間輸送で所要時間短縮を図る

レールバスやディーゼルカーが導入されたことに伴い、郊外には仮乗降場が相次いで開設され、沿線住民の利便性が向上した。
その後も利便性アップの取り組みは続けられ、都市間輸送を主とした準急列車や急行列車が運行を開始し、所要時間の短縮が図られた。なお、準急は1966年(昭和41年)3月5日に運行距離100km以上の列車が急行に格上げされ、100km未満も68年(昭和43年)10月1日に急行となり、準急列車は全廃された。
58年(昭和33年)10月1日のダイヤ改正で、札幌~稚内間に夜行の準急「利尻」が運行開始。60年(昭和35年)7月1日には札幌~稚内間の準急「宗谷」が運行を開始した。
61年(昭和36年)10月1日のダイヤ改正では、天北線経由で札幌~稚内間の急行「天北」、宗谷本線経由で旭川~稚内間の準急「礼文」が運行開始。準急「宗谷」は急行「宗谷」に格上げされ、東室蘭経由で函館~札幌~稚内間に延長された。「宗谷」は64年(昭和39年)10月1日のダイヤ改正で倶知安・小樽経由に変更された。
65年(昭和40年)10月1日のダイヤ改正では、待望の札幌~名寄間の急行「なよろ」が運行開始。特に上りの札幌行きは名寄始発であるため、名寄駅からの乗車でも楽に座席が確保することができ喜ばれた。運行初日には名寄駅で出発式が盛大に行われ、花火も打ち上げられ、運転士と車掌への花束贈呈、陸上自衛隊名寄駐屯地音楽隊による「新幹線マーチ」が演奏される中、急行「なよろ」が出発した。「なよろ」は66年3月5日に増発され2往復となったが、72年(昭和47年)10月2日のダイヤ改正で1往復が旭川~名寄間に短縮された。
名寄本線でも62年(昭和37年)5月1日から札幌~名寄~遠軽間の急行「紋別」が運行開始。また、旭川~名寄~遠軽~旭川間を循環する準急「旭川」も運行を開始したが、「旭川」は68年10月1日のダイヤ改正で廃止された。
68年10月1日には名寄駅に「みどりの窓口」が開設。座席指定券の予約・発券のコンピューターシステム「マルス端末」が設置され、指定席券や寝台券の発行が格段と早くなり、便利となった。
また、貨物では終戦後の1940年代後半から、貨物輸送体制が需要に追いついていない状況が続き、駅での滞貨が問題となっていた。50年代後半になって輸送体制が整うとともに、旅客輸送が気動車主体に切り替わり、これまでの貨客混合列車から貨物専用での輸送方式になっていた。67年(昭和42年)6月には名寄駅にコンテナ基地が設けられた。
旅客、貨物輸送が最盛期を迎えた頃だったが、70年代半ばに入ると自動車が普及し、旅客、貨物取り扱いともに減少した。鉄道輸送が斜陽化し、合理化策が相次いで打ち出されるようになった。
(続く)