名寄までの工事に着手 2年間で建設し、開業へ
旭川から着工し、塩狩峠を越えて、士別まで開業した北海道官設鉄道天塩線。士別~名寄間の建設工事は1902年度(明治35年度)に入ってから着手した。
多寄、風連、名寄の駅舎建築は02年4月下旬から着手し、9月中旬に完成した。路盤、橋梁、伏樋工事は同年5月から10月にかけて行われ、士別市内の天塩川橋梁は11月下旬に完成した。
03年度(明治36年度)にはレールの敷設、砂利散布が行われた。名寄駅では客車庫、機関車庫、転車台工事などが進められ、開業準備が整えられた。着工からわずか2年間で建設したことになる。
03年9月3日、士別~名寄間が開業し、初めて汽笛が鳴り響いた。旭川~永山間の開業からは5年が経過するとともに、旭川~名寄間では76.2kmの距離があるが、当時の施工技術をはじめ、タコ部屋労働といった不眠不休の工事だったことを踏まえると、かなり早い完成だったと思われる。
名寄駅では祝賀会場に100人余りの出席者が集まり、祝賀会と園遊会を開催し、相撲や餅まき、熊送り(アイヌの神事)と開村以来のにぎやかさだった。
旭川~名寄間の列車は当初、1日2往復の運行(開業初日は臨時で1往復追加)で、現在の普通列車と快速列車の合わせて12往復と比べると少ない。当時の所要時間は旭川~名寄間の片道で3時間5分~3時間10分を要し、現在の普通列車の2倍以上だったが、鉄道開業以前は徒歩が当たり前だったことを考えると、「超高速の文明的な乗り物」だったといえる。
当時の途中駅は多寄、風連のみで、他の駅は戦後、こまめに停車できる気動車が導入されてから開設された。
下士別駅は55年(昭和30年)12月2日に仮乗降場として設置、59年(昭和34年)11月1日に駅へ昇格したが、利用者減少により2021年(令和3年)3月13日に廃止された。
瑞穂駅は1956年(昭和31年)9月1日に仮乗降場として設置され、87年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に合わせて駅へ昇格した。
東風連駅は56年9月20日に開設、2022年(令和4年)3月12日に稚内方面へ1.5km移設され、名寄高校駅に改称した。
3駅とも当初から無人駅であるが、設置に当たっては地元が費用を負担し、労力も提供した。東風連駅から名寄高校駅への移設も、名寄市が費用を負担している。
多寄駅、風連駅はもともと有人駅で、貨物や荷物も取り扱ってきたが、1982年(昭和57年)11月15日に貨物、84年(昭和59年)2月1日に荷物の取り扱いが廃止された。電子閉そくの導入に伴い、86年(昭和61年)11月1日、ともに無人化され、多寄駅では列車交換設備が撤去された。
多寄駅は88年(昭和63年)に改築。風連駅は29年(昭和4年)10月と89年(平成元年)7月に改築され、現在の駅舎は3代目である。
名寄駅の構内には名寄機関庫(後の名寄機関区)、名寄保線区、乗務員詰所が設置され、「鉄道のまち」として歩み始めた。
名寄以北への延伸も予定されていたが、日露戦争の影響もあり、着工は遅れていた。
(続く)

