旭川から着工し、塩狩峠を越えて、士別まで開業した北海道官設鉄道天塩線。士別~名寄間の建設工事は1902年度(明治35年度)に入ってから着手した。
安部公房との出会いは、高校3年生の頃だった。私が通っていた高校で扱う現代文の教科書では、彼の初期作品『赤い繭』が採用されていた。