隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民
上橋菜穂子(筑摩書房 2000年・文庫版2010年)
『精霊の守り人』、『獣の奏者』、そして近年では『香君』と豊かな想像力と精緻な描写で多くの人を魅了し続ける作家・上橋菜穂子にはもう一つの顔がある。彼女は大学で文化人類学を修め、特にオセアニア地方の先住民であるアボリジニを研究対象としている。彼女の研究者としての経験やノウハウは物語にも色濃く現れている。
本書はそんな彼女が大学院の修士課程に在籍していた頃、オーストラリアで子どもたちに日本文化を伝える教師として派遣された時のことが書かれている。研究者として初めてアボリジニと欧米人の子孫が暮らす土地に足を踏み入れた筆者はそこで「先住民」としてというよりもむしろ日常生活で「隣人」として接するアボリジニのことを意識するようになる。西オーストラリア州・ミンゲニューの学校で彼女をサポートする教師でアボリジニの一族の末裔であるローラとその家族たち、派遣されたもう一つの町・ジェラルトンのマリアンをはじめとしたオーストラリアの人々との交流を通して耳にしたさまざまな現代社会を生きるアボリジニたちを描いている。
作品は上橋が滞在した2つの町でのアボリジニたちとの出会いを描いた章、そして親しくなったアボリジニの末裔とその家族から聞いた語りの章に分かれている。語りの章の中で、上橋は「これはアボリジニの人々の事実ではない」と慎重に読者に忠告をする。あくまで上橋が出会ったアボリジニたちに起きていたと考えられることであって事実ではないからだ。「物語」とまで言い切ってしまうと誤解を招いてしまうかもしれないが、そこには調査であるからという信頼性から読者が物語を事実として受け止めてしまうことの危険性を説く。異なる文化圏の人々であるという前提があまりにも強く働きすぎて却って文化の中の様々なグラデーション―地域やそれぞれの家族の差異といったものに対し盲目になってしまっていること、いわゆるステレオタイプな認識に陥ってしまうことに気づかせてくれる。本書を通して「隣の」他者の歴史を借りて語ることの難しさを上橋は示しているのだ。
本書が書かれたのはもう20年以上前のことになる。2023年、アボリジニを取り巻く状況は当然ながら変化している。上橋が交流した家族たち、そして上橋自身の状況も変わってきていることは間違いない。語られて、編集された言葉たちは出版された当時以上に物語の様相を強めている。そんな今この本が発するのは隣にいる他者の歴史とその個人が属する文化・民族一般の歴史を接続させることの危うさだ。
書き手 上村麻里恵
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