「二十歳の原点」
高野 悦子(新潮社 1979年)
高野悦子、そして表紙の赤い花(もしくはノートのようなデザイン)の装画でハッと思い出す人もいるかもしれない。
本書は79年に発表され、多くの人々の心を掴んだ日記作品である。この日記はある1人の女子大生が1969年1月に20歳を迎えてから亡くなる6月までのノートである。日記の綴り手である高野悦子は栃木県に生まれ、京都の立命館大学に通う大学生だった。学生運動の只中を大学で過ごした彼女は日本史研に所属し、ホテルのウェイトレスとして働き、学生運動に参加する。
余暇ができれば日々本を読み、行きつけの喫茶店で煙草を飲みながら音楽を聴き、ノートには後悔と決意、振り返りから読書の記録や詩を綴り続けた。彼女はやがて周囲の人間関係と己のこれからに対しどうしようもなさを抱く。恋は己の中で噛み潰すような終息を迎え、就学や大学システムに疑問を抱くようになり、家族ともトラブルに陥ってしまう。
四方を行き止まりに囲まれた彼女の日記は69年6月22日に綴られた一本の詩で終わり、その2日後に高野悦子は走りくる貨物列車の前に飛び込んで命を絶った。 彼女は高校時代からこうした日記を記し続けていた。『二十歳の原点』はその最終章であるとも言えるだろう。
この日記を命を絶った女性の手記として見るのはある意味仕方のないことではある。彼女がこの世を去る選択をしていなければこの日記が私たちの目に触れることはなかったかもしれないからだ。しかし、そうして死と彼女を直結させて読むことは危ういことかもしれない。
日記に関わらず、過去の所感やメモを読み返すのは、たとえそれが自分のものであろうと他人のものであろうと気が引けるものだ。高野のこの日記を若い女性の自省録して見ると同時に、そこにはかつての私たちを思い出す眼差し、そして己の内省という対話が待ち受けている。
私たちが垣間見るのは彼女の20歳になってたった半年間の言葉だが、短い月日とは思えないほどの濃密な思考の集積がこのノートには詰まっている。彼女は自身を社会から与えられた殻の外から眺め、孤独であること、未熟であることを起点に自身の確立と内省を脳内で繰り返し、それをノートに書きつける。
髙野の言葉は頭の中という孤独に対し、ひたすらに考え続けなくてはならないと急きたてる。考えてもどうにもならないことにすら思索の手跡をパンク寸前まで残し続けよと訴えかけてくるのだ。日記にも関わらず、いやひょっとすると日記であるからこそ、書き手自身の存在感を凌駕してその訴えがガンガンと響いてくる。
その喚起こそが今なお読み継がれる要素であるのだろう。
書き手:上村麻里恵
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