Anatomie de l’Art Insolite d’Eimi Suzuki 悍ましくも美しきものの解剖学 スズキエイミ作品集 BOOK LAB.書籍紹介

著者:スズキエイミ 出版社:エディシオン・トレヴィル(発行)、河出書房新社(発売) 出版年:2022年

スズキエイミの3冊目(国内出版は2冊目)の作品集の表紙は《In my heart》(2020)という絵画作品が飾っている。初めてスズキの作品を目にする人にもその優美で異質な様を披露している。まずは、《In my heart》をもう少し詳しく見てみよう。

リボンやレース、刺繍があしらわれ、王家の宝飾品かと見紛うそれは肺と心臓の形をしている―肺に向かう器官の管はパールの装飾がついたピンクのリボンで飾られ、金とレースで縁取られ中にはパールが数珠状につながり、空気の泡を送りこんでいるかのように見える。肺は貴族のブラウスを思わせる細かな襞状の詰襟(肺に「詰襟」というのが適当かはわからない)と精緻なレースがあしらわれている。肺の部分は糸が光沢を放つ生地で描かれ、星のような模様と花を思わせる円形の刺繍、そして散りばめられたパールで全体が隈なく装飾され、肺の表面部分にはリンゴを咥えた一対の蛇がビーズの装飾と刺繍として表されている。煌びやかなドレスを思わせる作りだ。さまざまな布をたっぷり使って表された心臓は布地のツヤと折り重なりによって何十年も働き続ける強靭な心筋を表す。解剖図のような静止した佇まいがありつつも宝飾品としての魅力的な面持ちも兼ね備えた姿を前に臓器が眼前にあることの動揺と美しいものを目にしたときの好奇心が心の中にないまぜとなって私たちの心に現れる…。

スズキエイミは1993年生まれの現代美術家・ジュエリーデザイナーである。古典作品と現代的なメッセージとのコラージュや作品やペインティングの作品を数多く手がけるほか、標本を用いた立体作品、ジュエリーの制作を行う。その作品世界はギャラリーでの個展のみならず、服飾ブランドとのコラボレーションや写真作品においても展開されている。スズキは作品を通じて愛の形や女性身体、そして世の歴史の歪みを問う。外見上の美しさや作法や形式が整っているように見えるものには同時に、影になって見えにくくなってしまったものや置き去りにされたものがあると訴えかける。

本書ではその多くの作品とテーマの中からとりわけ「解剖」という表現に焦点を当てた作品に注力している。本書タイトルにもある“Anatomie”はフランス語で「解剖」を指すが、スズキはしばしばこの語を“anARTomy”と記す。解剖と芸術を交差させたスズキの表象は古典にメスを入れて膿んだ世界を解剖し、今一度覗いて再構築しようとしているのだ。

本書に掲載された作品の一つ《The Day of Ovulation》(2017)は薄いベールで腿を包んだ女性の下腹部の中が描かれている。子宮にいるのは3人の裸体の女性で排卵を操っているという。彼女たちの背後には内臓と卵管があり管と内臓の周辺には真珠がいくつも転がっている。真珠は無論卵を表しており、彼女たちの誘いによって真珠の卵が卵管へ送られていく。静かに佇む腹部や子宮から私たちは目を逸らすことはできない。それは決して見せつけられているのではなく、こちらが絵の中の人々に誘われてこの奇妙で美しい現象から目を離すことができなくなっているのだ。内臓の中に現れたアートは古典という従順で見慣れたはずの土壌を最大限に用いたカウンターとしても機能している。日頃見えないもの、触れてはならないものとされている対象をスズキは忌むことなく、しかしそこに夢のような光景を合わせることによって恥じいる必要のない優雅さを与えている。

“anARTomy”の中に隠れているのは“ART”だけではない。“ART”を挟んだ形で並ぶ“anomy”という語は社会の統制および道徳的規範が失われた状態を表す。ギリシア語で無法律状態を表す「アノミアー」が基であるこの語の定義と分析を最初に試みたのが19世紀フランスの思想家であり、現在の社会学の基礎を築いたエミール・デュルケーム(1858~1917)である。近代における若者の自殺・19世紀社会の労働環境に関する問題を論じた際、近代社会における分業化が進みすぎたがゆえに人々が互いに共通して持ちうる社会規範が失われている状況を「アノミー」状態として指摘した。この概念はデュルケーム以後も継承されてきており、またアノミー状態が今日の世界においても少なからず当てはまることは間違いない。画中で混沌として不安定な世界に現代的なメッセージを付与するスタイルを取る彼女が自身の表現を表す言葉に“anomy”を潜ませたことはきっと偶然ではないはずだ。共通の規範などというものが消えた世界に挟まれて立つ「芸術」はアノミー状態の世界に割って立っており凛々しさすらも覚える。古典のような夢想の世界で静かに佇む彼ら彼女はただの空想世界や奇妙な標本では決してなく、無秩序な世界で確固として立つための美しい意志を私たちに与えてくれるはずだ。

参照
Eimi Suzuki | スズキエイミ- https://www.eimi-suzuki.com
現代フランス哲学入門, 川口茂雄, ミネルヴァ書房, 2020年

書き手:上村麻里恵