「鳥と雲と薬草袋/風と双眼鏡、膝掛け毛布」
梨木 香歩(新潮社 2021年)
人はあらゆるものに名前をつける生き物だ。道具、動物など身の回りにあるものだけでなく、目に見えない小さな微粒子、さらには途方もなく遠くにある星にも名前をつけてきた。
人は土地にもそれぞれ名前をつけてきた。著者である梨木氏が日本(時には海外)各地の土地の特徴的な名前について足を運んだり、そこをよく知る知人の話を聞いたりしながら思いを馳せていく。地名それぞれエピソードは掌編ほどの短さで紡がれている。
地名も市レベルの比較的大きな場所から、合併などによりもう消失してしまったものまでその関心は及んでいる。土地のエピソードや歴史も交えられていることから、はじめ私は人の頭から生まれた事典のような印象を受けた。しかし今は少しその認識を改めた。
この本は事典よりも緩やかである。梨木自身が目で見たもの、聞いた言葉が土地の歴史と混ざり合うことで、辞書的でなく、かといって私小説的な人の体温の近さがあるわけではないという不思議な質感を帯びている。大地が一体となっているように掌編同士がゆるやかにつながっていたり、著者の記憶から別の土地のこともひょいっと現れたりする。
道理に逆らわないその語り口は大地と人間の奇妙な関係性を思わせる。名前をつけるのと同様に、人は歴史を紡ぎそれを記録する。しかしながら我々は大地の中の1サイクルを担う存在にすぎない。場所の歴史の悠久さを思えば生個々の歴史はあまりにも儚い。
名前は歴史の残滓であるともいえる。人間を包括する土地とその中で生きる人間の歴史が交差するところにあり、おそらく人間のみが活用するマーカーだ。この本は不意にそんなことを思わせる。梨木氏が土地を訪れ、あるいは資料や人づてに調べたと同時に、そのまなざしは自然にも向けられている。土地の風景やそこで生い茂る植物や流れる川を眺め、風の温度を感じ、時に枯渇してしまった自然を思う彼女は地名を通して自然の時間軸を吸収して言葉にしている。
この本のタイトルとなっている「薬草袋」は梨木氏が旅の鞄の中に入れている薬やメモ、薬草のブーケが入った小袋のことだ。袋の中のものたちが「ごちゃごちゃ」と混ざり合う様を彼女は自身の掌編に重ねた。この本も薬草袋のように忍ばせることができる。ページを捲れば土地の名前や歴史が発する何とも言えない香りや空気を吸い込むことができるだろう。
書き手 上村麻里恵
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