地域と共に歩む名寄駐屯地 6

6 退職者の雇用維持とOBの紹介1

自衛官の定年年齢

自衛官の定年退職年齢(下表参照)は、公務員や民間企業に比べて若く、退職する自衛官が、引き続き、名寄市に残って居住することは、人口の維持やまちづくりに大きな影響がある。
退職自衛官の雇用を促進する組織として、「名寄自衛隊退職者雇用協議会」があり、駐屯地内の「道北地域援護センター名寄分室」と協力して、退職者が名寄で再就職できるよう、地元企業の紹介や職場見学、退職自衛官の支援など、さまざまな取り組みを実施して、雇用の維持に最大限努めている。
名寄駐屯地における2013年度から22年度までの10年間の若年定年退職者と、任期制退職者の総数は、約570人。このうち、名寄市に就職した人数は、約170人で、率にすると約30%であるが、希望者の全員が、名寄に残って再就職している。
次に、名寄駐屯地には、市外・道外からの出身者も数多く勤務しており、自衛官退職後も、名寄に残って生活している6人を紹介する。
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東峰晴(ひがしみねはる)さん(68)は、熊本県人吉市の出身。1972年陸上自衛隊入隊後、大分県別府市にある教育大隊を経て、翌年の73年に名寄駐屯地の第三普通科連隊(当時)に赴任した。
赴任後の名寄の印象として、「寒くて雪が多い。隊舎も古く、つらかった」。一方、九州出身の隊員も多く、「県人会などの活動を通して、すぐ解け込んでいけた」と話す。
名寄駐屯地赴任後は、第3普通科連隊の小隊長、人事幹部などを経て、2008年第2師団の名寄自動車教習所長を最後に定年退職した。
退職後は、名信ビジネスサービス㈱に入社して北星信用金庫に出向し、主に年金相談などの業務に携わった。その後、19年から北海道交通安全協会の車庫調査員として現在に至っている。
退職後も名寄に残った理由として、奥さんが下川町出身であり住宅もあること、住みやすい気候であることなどを挙げている。
退職した自衛官の親睦と交流などを図っている(公社)隊友会名寄支部の支部長を務め、さらには、北の天文字焼きの支援などのボランティア活動も実施。
趣味は、パークゴルフとアキアジ釣り。
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柴垣克巳(しばがきかつみ)さん(60)は、青森県風間浦村の出身。
1981年4月に八戸市にある陸上自衛隊第38普通科連隊に入隊。前期教育課程を修了後、同年6月に名寄駐屯地第3普通科連隊に赴任した。
その後、同連隊の中で異動・昇任し、2016年11月に定年退職した。
在職時の思い出として、イラクへの派遣(04年)と東日本大震災(11年)の支援活動を挙げている。
イラクでは、事前訓練を経て3カ月、宿営地の整備や復興支援活動に携わった。
その間、「名寄市民からあずかった激励のこいのぼりを、イラクの子供たちの未来のため、ユーフラテス川に掲げ、現地の教育委員会から感謝の言葉をもらった」ことや、他国の軍隊から、日本の宿営地について、「イラクのモデル駐屯地だ。自衛隊の宿営地を見に行け」と、評価されたことなどが思い出に残るという。
また、東日本大震災の災害支援では、実家が青森県ということもあり、地震発生後は、電話がつながらず、不安の中、発生翌日の午後11時には名寄駐屯地を出発し、現地に向かった。
岩手県宮古市周辺の現地到着後は、あまりのすごさに「ただ、あぜんとした。行方不明者を一日も早く家族に会わせてあげたい」一心で活動した。
退職後は、金融機関を希望していたこともあり、16年に北洋銀行に再就職し、同行では、主に現金や文書などの管理業務を担当している。
退職後も、名寄を選んだことは、自宅があり、奥さんが智恵文出身であることから、自然な流れであった。
子ども2人は、独立して、いずれも医師として活躍。趣味は、ウオーキングと野菜づくり。