井戸に落ちた馬の救出

体が大きな「ばん馬」と触れ合う下川の幼児たち

 読者からいただいた「馬との思い出」に触れたい。
 今回は下川町西町在住の三井純一さん。寄稿によると三井さんは子どものころ、上名寄で畑作を営む父が飼う、「農耕馬」の世話を手伝っていたと言う。
 以下、三井さんの思い出から抜粋。
 ◇年末 父に連れられ、馬そりで大豆、小豆、えん麦を積んで下川市街地まで売りに行った。
 ◇昭和24年夏の山火事で馬小屋全焼
馬は火を見るとおびえて動かなくなるようだが、隣人の機転で顔に袋を被せ、目を隠しながら出し、間一髪だった。
 ◇積雪シーズン 父が縦横1㍍、厚さ30㌢、重さ50㌔の木「たま」に乗って馬に引かせ、雪を踏み固めて国道まで道を開けた。
 ◇高校時代のアルバイト 学費を稼ぐため、馬のいない農家へ馬で行き、プラオを引かせて耕し、砕土、筋切りをした。賃金は1日800円と記憶している。
 ◇3月のまき運搬手伝い 当時丸太にした後に残る枝や端材を、まきとして農家へ払い下げていた。馬そりで土場へ行って積んで帰ったが、暖気で解けた雪にはまり、そりをひっくり返したり、みぞれでずぶぬれになったこともあった。
 ◇馬交換 良い馬と交換する「馬喰」(ばくろう)が介在した。定期的に農家を訪ね、馬の気性、力、年齢、更新意向を把握し、その情報を提供してアドバイスしていた。
 ◇馬生産 メスを飼う家はどこも子馬を生産した。春の出産後、種馬が巡回してくる。どんなことをするのか興味津々で、こっそりのぞいたが、馬の種付けは豪快だった。
 ◇馬も涙 伝染病の見つかった馬が、殺処分前に涙を流すのを目にした。
 ◇井戸に落ちる 水道ポンプ布設の井戸(直径1・5㍍、深さ3㍍)に、馬が後脚から落ち、馬扱いの上手なMさんに救出を頼んだ。井戸の上に3本のはさ木を結んで滑車を付け、ロープを馬の尻に巻き付けると、上がろうとする馬の呼吸に合わせて引き上げて無事救出。井戸水に2時間以上、浸かった馬は、冷えと恐怖でしばらく震えていた。Mさんの手綱裁きは見事だった。
 ◇悲しい一生 馬は散々こき使われ、けがや高齢で役立たなくなると、肉屋に売られて殺処分になる。これを供養する馬頭観音菩薩碑が各集落に建立され、秋に馬頭祭が行われた。男衆は碑前で供養後、宿で愛馬に感謝しながら酒をくみかわし、宴に酔った。
 ―「農耕馬との思い出は尽きない」と締めくくっている。(続く)

<今回は2016年2月1日付名寄新聞掲載の記事を基に再構成しました>