=はじめに=日本の総人口は、2004年の1億2784万人をピークに年々減少し、名寄市においても、国勢調査で見てみると、1960年(昭和35年)の4万8180人をピークに、2020年(令和2年)は2万7282人と、大きく減少している。(表1)
このように、人口減少社会を迎える中、各自治体では、少子高齢化対策、産業振興、移住定住対策など、さまざまな対策を講じているが、国全体が人口減少にある中、とりわけ、北海道においては、札幌一極集中が進み、多くの自治体で過疎化が進んでいる。
こうした状況は、名寄市においても同様であるが、一方では、現在の市民の大きな財産として、陸上自衛隊名寄駐屯地、名寄市立大学、名寄市立総合病院があり、人口減少に一定の歯止めをかけながら、まちづくりに大きな影響を与えている。
本紙では、市民及び圏域住民の財産である名寄駐屯地、名寄市立大学、名寄市立病院と、地域が抱えるさまざまな課題などについて、フォーカス(特集)として掲載していく。
陸上自衛隊名寄駐屯地
第1部は、地域とともに歩み、「自衛隊のまち なよろ」という言葉が市民の間に広く定着し、今年70周年を迎え、名寄市内における最大の人員(雇用)を誇る陸上自衛隊名寄駐屯地について、全9回にわたり掲載する。
なお、陸上自衛隊名寄駐屯地は、防衛省に所属する国の機関であるため、防衛上の視点ではなく、あくまで、名寄市及び周辺のまちづくりについての編集になることを理解願いたい。
1 名寄駐屯地の設置
1950年に警察予備隊が創設されたのを機に、名寄市でも誘致運動が起こり、52年に名寄駐屯地の設置が決まった。その後、警察予備隊は保安隊となり、同年12月に第3連隊(第3普通科連隊を経て現在の第3即応機動連隊の前身)の先遣隊が入って名寄駐屯地が開庁し、翌53年3月には、主力となる第3連隊およそ3000人が移駐し、名実ともに名寄駐屯地がスタートした。その後、54年7月に保安隊は、自衛隊に改められた。
名寄駐屯地の開設により、第3連隊などの隊員約3100人、家族約1000人の人口増が図られ、それに伴う消費増などによる大きな経済効果(保安隊景気)がもたらされた。誘致に当たっては、一部に反対する声もあり、「新名寄市史」によると、「一部の商業関係者、教育現場などでいくつかの軋轢(あつれき)を生み、再軍備反対の立場から名寄駐屯地にも批判的な目を向ける人もいたが、大きな声にはならなかった」と、記載されている。(編集部)