市史編さん室の置かれている北国博物館まで、朝夕、名寄公園の中を通って通勤しています。時間に余裕があるときには遠回りしたりして散策し、四季折々の変化を楽しませてもらっていますが、平成の期間ということで言うと、いくつもの変化があったようです。
名寄公園は、大正11年に名寄町が公園予定地として払い下げを受けた土地が起源で、かつては名寄農業高校(現名寄産業高校名農キャンパス)の敷地のほとんどを含むものでした。当時の面積は約65ha、現在の面積は約22ha。広大な敷地を生かして、競馬場が設置されていた時期もあったそうです。戦後は、野球場の移設(以前は花園公園付近にあった)などがあり、これら経緯は、前市史などに詳しく記載されています。
平成に入ってからは、名寄本線跡地の取得(平成3年)、水路の整備(平成3年)、テニスコート移設(平成5年)、キマロキ移設(平成5年)、公園灯の整備(平成10年)、園路の再整備(平成18~20年)、橋の架け替え(平成25~28年)などを経て、現在に至っています。このような経緯は新たな市史に記述していく予定です。
そのほかにも、現在のてっし花火大会の起源にあたる花火大会が開催されたり(平成5~7年)、池の水質向上のためにいくつかの工事が行われたりもしています。水中の酸素量を増やすために浮遊式のばっ気噴水が導入されていた時期もあり、ご記憶ある方もいらっしゃるかもしれません(平成13~25年ころまで)。
パークゴルフ場もありました。現在、名寄公園のパークゴルフ場といえば、平成12~13年に整備された、名寄本線跡地、17線沿いにあるものを想像される方が大半かと思いますが、短い期間、池の北側(農業高校との境界付近)にパークゴルフコースが造られ、利用されていたという記録があります(平成6~13年ころまで)。ただし、その写真やコースの詳細を示す資料はほとんど残っていません。
「ひょうたん池」に、鶴のモニュメントがあったことを記憶されている方はいらっしゃいますか?当時の観光パンフレットやその他の資料に映り込んでいるなどしており、存在が確認できるのですが、そのものを正面からとらえた写真はなく、いつ、だれが設置してどのように管理されていたのかは十分にわかっていません。噴水の機能があった、という話もありますが、定かではありません。昭和50年ころから存在し、平成初期の池の改修工事の際に撤去されたと考えられていますが、詳細は不明です。
さて、ここで市民の皆様にお願いです。「ばっ気噴水」「池の北側のパークゴルフコース」「鶴のモニュメント」などなど平成の名寄公園を特徴づける構造物の数々。市史への具体的な記述をするにあたって、我々は、もう少しはっきりと当時の様子を知りたいのです。これらの写真や資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご提供いただきたくお願いします(1点物の場合には、スキャンして現物をお返しすることも可能です)。
なお、そのほか、平成期の名寄地域の歴史資料についても引き続き収集を進めています。提供いただける資料がございましたら、市史編さん室までご連絡ください(すでに保有している資料については、寄贈をお受けできない場合があります。また、写真については撮影された方についてや、人物がはっきり映っている場合、肖像権などについて確認をさせていただく場合があります)。 (竹田)
問い合わせ:市史編さん室(01654-3-2585 直通)