【名寄】
天塩川×武四郎セミナー・第2弾!が、23日午後6時からホテル藤花で開かれた。
天塩川シ―ニックバイウェイ運営代表者会議(栗原智博会長)が主催し、約100人が出席。
今回のセミナーは、3月に続く第2弾で、「北海道の名付け親・松浦武四郎の生涯と天塩川」と題した講演をメインに行われた。
冒頭、栗原会長がシーニックバイウェイの趣旨を説明し、「今日はレラ・マウカの皆さん、武四郎記念館の山本館長をお招きしました。アイヌ文化に触れ、武四郎を学ぶ貴重な機会です。これらの財産を次世代につなげていきたい。楽しい時間を過ごしてほしい」と挨拶。
北海道開発局旭川開発建設部の西山泰幸次長、山田裕治市経済部長(市長代理)も挨拶した。
はじめに、札幌市を中心にアイヌ文化の魅力を伝える活動をしている「レラ・マウカ」が、アイヌ伝統の歌や踊り、器楽演奏などを披露。樺太アイヌの流れをくみ、戦後は豊富町の開拓地区で日本人と一緒に生活してきた―などのトークを交えて、歌や踊りを披露し、最後は、栗原会長らも輪になって一緒に踊った。
講演会は、三重県松坂市にある松浦武四郎記念館の山本命館長が講師を務めた。
記念館は、1994年に開館。山本館長は、同館の学芸員を経て、2022年から館長を務めている。
冒頭、武四郎の生涯に触れ、蝦夷地(北海道)の6回に及ぶ踏査については「ロシアの南下政策から日本を守るため」と述べ、講演に入った。
6回の踏査のうち、前半の3回は個人で行い、後半の3回は幕府の依頼を受けて実施した。
天塩川の踏査は5回目(1857年)の武四郎が40歳の時に行われた。
アイヌ民族の男性の丸木舟の案内で、天塩から天塩川の上流に向かったさまざまな様子が「天塩日誌」に詳細に記されている。
アイヌ民族と知り合う際は、女性には針や手拭いを、男性にはたばこを用意して、信頼関係を築く努力をした。
日本をロシアから守るために訪問したにもかかわらず、現地でのアイヌ民族は、強制労働など和人に虐げられていることが分かった。米を分けると、飼い犬にまで平等に分けることに感動し、「水産物を商人のためだけでなく、アイヌの人々にも平等に利益を受け取れるようにしたいものだ」と語っている。
江差や松前の商人、役人の振る舞いが、許せなかったのだと思われる。
山本さんは北海道の名前に使われている「かい」について、「アイヌの人々を指す。樺太とも交流があり、先住のアイヌの人々を大切にする気持ちが込められている」などと話し、天塩川と武四郎の深い縁について語った。
質疑では、「当時、武四郎は個人でも3回踏査している。莫大な資金が必要で、どうやって工面したのか」との質問が出された。山本さんは「当時のお金持ちや文化人には、判子(はんこ)が喜ばれたので、判子を作ってあげた。伊勢神宮から来たので地域の人々からも喜ばれ、もてなされたのであろう」などと答えていた。
出席者は、アイヌ民族の文化や、武四郎について学びを深めていた。



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