オホーツクミュージアムえさし 1949年に鉄道予定地を踏破 当時の記録写真を公開 特別展「美幸線を拓いた人びと」

【枝幸】

特別展「美幸線を拓(ひら)いた人びと 美深~枝幸4日間の旅」が、23日までオホーツクミュージアムえさし(枝幸町三笠町)で開かれており、1949年に鉄道予定地を踏破した当時の記録写真を公開している。
美幸線は、美深から枝幸まで予定されていた鉄道路線で、64年10月に美深~仁宇布が開業。65年10月から枝幸~志美宇丹、70年12月から志美宇丹~仁宇布も着工された。
仁宇布~枝幸の路盤や橋、トンネルは全て完成し、あとはレール敷設と駅舎建設だったが、国鉄の赤字問題が影響し、80年から工事が凍結され、未成線に終わった。美深~仁宇布は85年9月に廃止。今もトンネルと一部の橋が残っている。
枝幸町では昨年夏、旧歌登町の書庫で、49年4月に当時の美深町と歌登村の住民13人が美幸線の予定路線を踏破した時の記録写真が見つかった。
詳細をみると、写真は運輸省札幌地方施設部が現地調査を実施した時のもので、住民たちが随行し、美深から枝幸までの87kmを徒歩で3泊4日かけて移動した。
1日目は美深駅前を出発し、ニウプ川に沿って北上して仁宇布郵便局で宿泊。2日目は美深町と枝幸町の境界を越え、大曲の開拓農家に泊まった。
3日目は志美宇丹を越えて歌登市街地の旅館に宿泊。4日目は下幌別付近でオホーツク海に出て、枝幸に到着する行程だった。
特別展は、枝幸町教育委員会が主催。当時の記録写真144枚をデジタル化し、そのうち124枚と、添付されていたメモの内容を紹介している。
雪が多く残る原野や山地を踏破したが、春先のため雪崩の危険性もあったこと。貯木場や開拓農家、馬そりなど当時の住民生活の様子を捉えている。
途中、未成区間の第2大曲トンネル付近と思われる箇所から写したものもあり、全線開業がかなわなかった美幸線を感じさせる。
美深~仁宇布、志美宇丹~歌登~枝幸には殖民(簡易)軌道が敷かれていたが、輸送可能量は少なく、冬季は積雪のため運休し、春先には住民たちが除雪作業に当たっていた。木材の運送は河川による流送がメインで、住民たちは旅客や貨物の輸送で正規の鉄道をいかに待ち望んでいたか、写真を通してうかがうことができる。
特別展は23日までとなっており、毎週月曜日と最終週の火曜日は休館。開館時間は午前9時から午後5時まで。