地域とともに歩む名寄市立大学 1

フォーカス第二部は、日本最北の公立大学である「名寄市立大学」について掲載する。

1 名寄女子短期大学の設置・設置後の経過1

1975年頃の校舎(北国博物館提供)

名寄市及び上川北部を中心とする道北地方における女子教育の充実を図るため、1960年に名寄市立大学の前身である「名寄女子短期大学」が開設された。開学時の入学定員は家政科60人で、64人の女子学生が入学した。
財政問題を抱える人口3万人強の小都市にとって、自前で高等教育機関を設置することは容易ではなく、設置の前年の59年に、「名寄女子短期大学設立期成会」が多くの団体によって設立され、資金の調達、寄付金の募集、図書献金を含む献本運動などの活動が行われた。
設置に必要な認可申請書が提出されたのは、59年9月30日で、大学設置審議会の現地調査は同年11月であった。その時の校舎整備等の状況は、「校舎土台のコンクリートが打ち終わったばかりで、現在の設置認可申請及び審査の状況からすれば、『次年度回し』にされなかったのがむしろ不思議である。おそらく、今後、名寄市が責任を持って設置・運営計画を履行していくという見通しに加え、短大設置にかける関係者の熱意が大学設置審議会委員を動かした結果であろう」と、「新名寄市史」に記されている。
なお、第1期卒業生の進路は、46人が教員、7人が栄養士として全道各地に就職しており、教員の割合が非常に高かった。
短期大学の設置は、名寄市にとって財政上の負担が大きく、開学3年後の63年度の市政執行方針の中に「女子短大の道立移管促進」の項目が入れられた。当初は、移管問題であったが、北海道の提案は、「看護婦養成所への改組と短期大学の廃止」であっため、移管問題は廃学問題となり、多くの学生も地域の理解を得るために反対活動を行った。結果として、大学設置の趣旨などに鑑み、存続が決まった。
また、設立当初は、国庫による助成制度がなかったため、財政負担が大きく、安定した大学運営にはどうしても、国からの助成が必要であった。池田幸太郎市長(当時)は、「全国公立短期大学協会」などを通して粘り強く要望した結果、68年度から特別交付税〔注〕で措置され、73年度から普通交付税〔注〕による助成措置が実現した。2022年度は、保健福祉学部の学生1人当たり166万5千円が地方交付税で措置されている。
入学定員も、設立当初の60人から80人、100人となり、児童専攻課程の設置により150人となり、90年には名称を「市立名寄短期大学」と変更し、男子学生も入学するようになった。同時に学科の名称も、生活科学科(生活科学専攻・栄養専攻・児童専攻の各50名)とした。
 
〔注〕「普通交付税」「特別交付税」:地方自治体に対して交付される地方交付税は、普通交付税と特別交付税に分類される。普通交付税は、通常の行政経費(財政需要)を基に積算され、自治体の財源不足に対して交付され、交付税総額の94%を占める。特別交付税は、普通交付税で補足されない災害などの財政需要に対して交付され、交付税総額の6%を占める。

第3期生卒業式(北国博物館提供)