地道な努力と功績が高く評価 黒井氏(名寄)、中村氏(名寄) 田中氏(名寄)、鉢呂氏(美深) 本紙管内春の叙勲、受章の知らせに晴れやかな表情

【名寄・美深】

2024年度春の叙勲の受章者が発表された。本紙管内からは、地方自治功労で元名寄市議会議員の黒井徹氏(74)=名寄市曙=が旭日小綬章。地方自治功労で元名寄市豊栄区町内会会長の中村雅光氏(80)=名寄市西10南10=が旭日単光章。消防功労で元北海道上川北部消防事務組合風連消防団副団長の田中廣勝氏(72)=名寄市風連町西町=、統計調査功労で元工業統計調査員の鉢呂信一氏(70)=美深町南町=がそれぞれ瑞宝単光章を受けることが決まり、4氏の地道な努力と功績が高く評価された。
黒井徹(くろい・とおる)氏。1950年3月、名寄市の生まれ。旧名寄農業高校を卒業後、農業(米と野菜の複合経営)に従事。働きながら冬期間(11月~3月)は北海道拓殖短期大学で3年間、農業経済を学ぶ。北海道指導農業士。「大学には北海道ばかりではなく東北の農業者もいて、仲間もでき、いろいろな影響を受けた」と振り返る。
1984年には34歳で名寄農協の役員(監事)となり、理事、組合長代理を歴任。道北なよろ農協誕生後(2005年2月)は理事を務める。
2003に名寄市議会議員に初当選(5期)。3期、4期の2期連続で議長を務め、まちづくり推進に尽力。
議長としての心掛けとして、「議員一人一人が市民の代表であり、どの会派においても十分審議を尽くして物事を決めていくということを基本に考えていた」と話す。
議員時代の思い出として、「議員定数の削減では意見が割れ、中々統一できず、最後は議長一任となった。その時は熟慮した上で、できれば減らしたくないという思いはありながらも、将来を考えると、20人から18人へ削減したという記憶がある」。この他、風連町と名寄市の自治体合併、市立名寄短期大学の4年制化などを挙げる。
20年間の議員生活を振り返り、「新名寄市の誕生、各小学校や母校である名寄農業高校の閉校なども含め、一つの時代の切り替わりの時期に議員を務めさせてもらい幸せだった。充実した20年間だった」と笑顔。
受章の感想で、「家族の理解が一番。地域の方々、議会や会派の仲間、議会事務局の職員など多くの方に支えられての受章だと思う」と語る。
中村雅光(なかむら・まさみつ)氏。1944年1月29日、興部町の生まれ。48年に名寄へ。名寄中、名寄農業高校卒。63年3月、道立農業協同組合講習所を修了。智恵文農協、名寄農協を経て、72年5月に名寄土地改良区に勤務。てしおがわ土地改良区(92年4月の土地改良区合併で組織変更)副参事。2004年1月末定年退職。
町内会活動は、1976年4月からの子ども会育成会事務局を皮切りに、町内会事務局、副会長を務め、2004年会長に就任。会長として20年間、通算48年間にわたり町内会活動に携わる。
この他、2010年から名寄市町内会連合会長(7期14年)。11年から北海道町内会連合会理事、18年からは同副会長。この他、名寄市民生委員児童委員、名寄市社会福祉協議会副会長、名寄市共同募金委員会長など公職を多数歴任。
豊栄区町内会は750戸、約1600人が居住。「明るく住み良い町内会をモットーに取り組んで通算48年間。私自身、諸活動への関わりについては、以前から満80歳を定年として考えていた」という。
役員の高齢化や中年層の町内会離れなど、町内会活動は大変な時代にあるとしながら、「かつてに比べ人付き合いは希薄になっている一方で、町内会などコミュニティーの重要性はますます大きくなっていくと思う」。
叙勲の知らせに、「まさか自分が頂けるとは思いもしなかった。町内会の皆さんや町内会連合会の歴代役員、事務局の市職員の方々など皆さんのお陰」と感謝。
5月10日の叙勲伝達式、拝謁には妻の洋子さんと一緒に出席する。
田中廣勝(たなか・ひろかつ)氏。1952年1月、宗谷管内浜頓別の生まれ。地元の学校を卒業し、67年に兄がいる風連町へ移住し、建築板金会社に入社。その後、72年に兄が独立経営する田中板金工業に入社し、現在も職人として活躍している。
その間、74年9月に風連消防団に入団。2008年に第1分団長、15年に副団長を2期(8年)務め、23年3月末で退団。また、10年には江別市の消防学校で、消防団員指導員研修課程を修了。後進の育成にも力を入れるなど、通算48年6カ月にわたり、地域防災活動の推進に尽力してきた。
消防団に入団するきっかけで、「元受け会社の専務さんが消防団員だったこともあり、誘われて入団した」とのこと。
入団した当時は、現在よりも火災が多かったとのこと。「特に大変だったのは、今から45年ほど前に発生した、木工場の火災。農協の倉庫が隣接し、延焼を食い止めるのに必死で放水したことを覚えている」と語り、朝と夜の1日2回、火災で出動したこともあるとのこと。
入団当時は消防設備も足りなく、タンク車導入以前は水の確保に苦労したとのこと。「冬は雪を掘って、ほ場の水路などから水を確保したが、十分に確保できないこともあった」という。
訓練では、「春と秋の消防団訓練大会に向けて、仕事終わりの夜7時から9時ごろまで訓練に汗を流したことも思い出深い」とのこと。
受章の知らせに、「団ではたくさんの人と出会い、いろいろ勉強させてもらった。まさか自分が頂けるとはと驚いている。家族や消防関係団職員の皆さまのお陰と感謝している」と語る。
鉢呂信一(はちろ・しんいち)氏。1953年6月22日、美深町の生まれ。美深高校を卒業後、72年4月から美深町商工会で勤務し、経営指導員を務めて、2015年3月末で退職。その後、美深町内の株式会社クリアで勤務している。
73年から工業統計調査員を務め、その他、商業統計、国勢調査などの調査員も務めてきた。
町商工会で長年勤務していたこともあり、顔なじみの事業所が多く「調査対象の協力事業所を知っているので、統計調査では理解と協力を得やすかった。地域とのつながりがあって、調査員として長く続けることができた。別段、特別なことをやってきたわけではなく、年数と回数を重ねてきただけ」と振り返る。
今回の受章の知らせを聞いて「うれしいことです。長年、調査員をやってきたことに対して、このような形でお礼をいただいたという気持ち。通常の職務を全うして、長く続けたことで、評価をいただいたものだと思っている」と語り、笑顔を見せる。
現在は調査員を退き、趣味の野菜作りを楽しんでいるとのこと。他の調査員たちが活動しており、「これからも引き続き活躍していただければ」と期待を込めている。