蓑島利明さんは、45年前に名寄に朝日ボウルが出来たころから会員となり、現在に至っている。88歳の今でも週1回は一人で朝日ボウルに行き、5ゲームほどボウリングを楽しんでいる。40歳から50歳の頃は、朝日ボウルの大会で年間を通して1位となることが多く、「景品泥棒と呼ばれていた」と笑って教えてくれる。歳を聞かなければ88歳とはとても思えない。
もともと市内瑞穂で農家だった蓑島さんは、父親が体調を崩し、若い頃から一人で農家を引き継ぎ頑張ってきた。その後諸事情があり農家を止め、学校の公務補として働いた。
もともと運動好きで、学生の頃から野球を楽しんできたが、34歳の頃、名寄の福鶴ボウリング場で初めてボウリングを経験したとのこと。初めての時は他の人がストライクをとっているのに蓑島さんは全然ストライクがとれなくて悔しくて、そこから火がついた。うまくなりたいと思った蓑島さんは最初の頃は知り合いのいない旭川まで行きボウリングを練習したこともあったそうだ。まだ下手なので知り合いのいるところでプレイするのが恥ずかしかったからと言う。それ以降仕事帰りに週2~3回の練習に通い続けて腕をあげていった。こうしてボウリングに熱を入れ楽しんでいた時に、名寄にあったボウリング場が2店続けて閉鎖してしまった。名寄にボウリング場が無くなってしまったが、その間も毎月開催される全道市役所のボウリング大会だけは参加していた。
市内にボウリング場がないのは何とも淋しかった。そこでボウリング愛好家5人で、現在の朝日ボウルのオーナーに、何度もボウリング場を建ててほしいとお願いにいったという。念願の朝日ボウルが建った時のうれしさは格別だったとのこと。友人と二人で開店記念に―と贈った鏡は今も名前入りで、1階で使われている。その時から朝日ボウルは蓑島さんにとって欠かせない場所となった。
蓑島さんにとってボウリングは、今の生活の中でどういう存在なのかを聞いてみると、今の生活の一番の楽しみだという。やり始めてから今までボウリングへの熱い思いは変わらず、ずっと続いている。ボウリングを続けていくために、今も毎日のスクワットや腕立て伏せは欠かさない。最近でも年間を通していつも上位の成績をあげている。
お若く見える蓑島さんだが、最近は腰痛などもあり、今使っている15ポンドのボールを14ポンドに変えるかどうか迷うこともあるという。15ポンドは、kgでいうと6.804kgの重さである。7kg近いボールはかなり重たい。でもまだもう少し15ポンドで頑張るつもりだと笑顔で話す。
蓑島さんのボールを投げる姿も実に若々しい。奥様の作ってくれる料理も健康を支えてくれているのかなと話ある。幾つになっても大好きなことをやり続けられるのは幸せだ。ましてやそれがスポーツなら健康な身体が必須条件となる。蓑島さんは好きなことを続けるために健康にも気遣って毎日を楽しく暮らしている。
(通信員・金子)