どさんこハナと下川町からオホーツク海までの乗馬旅を計画。各地・あるいは道中、お会いできる方がいたら交流できるとうれしい。悪天候の場合、雨に耐えながら移動する場合もあれば、日にちが変わる可能性もあり、その影響で宿がないというトラブルが生じる場合もあり、好天を祈っています。日程は以下です。(2024年)
9月16日から下川町の一の橋地区入り。(17日は山びこ学園との交流)
9月26日・一の橋→上興部(西興部ゲストハウス GA. KOPPER 宿泊)
9月27日・上興部→西興部→興部(ノースプレインファーム)
9月28日・興部→オホーツク海→興部(ノースプレインファーム)
9月29日・興部→西興部→上興部(西興部ゲストハウス GA. KOPPER 宿泊)
9月30日・上興部→一の橋
10月1日以降・一の橋→下川町
問い合わせは、筆者宛て(comyu@blue.plala.or.jp)にお願いします。
印象に残っている思い出の寄稿をここで紹介したい。
キクヱさん働く愛馬と涙の別れ
名寄市在住の髙橋キクヱさん(当時86歳)から寄せられた思い出「嫁ぎ先で愛馬の別れ」を紹介させていただきます。
―以下、髙橋さんの思い出から抜粋。
春先、美深ではどこの家でも、年中たく燃料の丸太を、山から家まで馬で運んでいました。
嫁ぎ先にいた赤い鹿毛の馬はとてもよく働き、毎日、バチに大きな丸太を山ほど積んで運んでいました。家に着いた馬の背中から鞍を下ろすと、馬は汗と湯気で体全体をびっしょりにし、馬屋に入れられていました。
私はスキわらを手に馬へ「ご苦労さん、ありがとうね」と言いながら全身をふいてやりました。ふき終わると馬は鼻をならしながら、うれしそうに私を見ていました。
そろそろまき山も終わる、ある日のことでした。馬が夢で「これ以上働けない。人間でいえば肺炎と同じ」と私に言うのです。朝起きて主人に「馬に無理させないで、体が悪いのだって。一度診察して」と話しました。
まき山も終わって馬の診察を受けたところ「よくこんな体で、これだけの丸太を運んで来たね」と言われ、私は涙がとまらなく泣き、毎日スキわらで体をふき、えん麦やニンジンを与えました。
ある日朝早く馬屋を見に行くと、横になっているままの姿を見て、何とも言えない愛馬の別れでした。馬へも「家族として思いやる心」の大切さがあってほしいと思います。
― 馬への愛情が伝わる髙橋さんの思い出でした。
<今回は2016年2月28日付名寄新聞掲載の記事を基に再構成しました>