著者:沢木耕太郎 出版社:新潮社 出版年:2008年
『深夜特急』(1986〜1992年、新潮社)は沢木耕太郎による紀行小説だ。26歳のとき、軌道に乗り始めていたルポライターの仕事を手放し、「デリーからロンドンまで、なるべく乗り合いバスだけを使って行く」という旅を約一年かけて敢行した沢木自身の実体験が描かれている。刊行以降、バックパッカーの間でバイブル的存在となり、多くの人々を旅へと駆り立ててきた。本書『旅する力 深夜特急ノート』は、その旅の裏話や、その旅を書くことに対する想い、出版後の反響までを振り返った一冊だ。「人気小説の副読本」の域を超え、旅そのものの「意味」を改めて問いかけてくる作品である。
「旅行をしたことがあるか」と問われれば、多くの人がうなずくだろう。家族旅行や修学旅行など、今の日本には旅の機会があふれている。しかし、「旅をしたことがあるか」と問われたとき、すぐに首を縦に振れる人はどれほどいるだろうか。計画性の違いか、あるいは目的の有無か。旅と旅行の間には、言葉では説明しきれない確かな隔たりがあるように思われる。
さて、沢木は本書の冒頭で、「旅とは途上にあること」と語る。道中にある、という意味を超えて、その過程で生じる心身の変化や、内面の揺れ動きまでも含んでいるような、詩的でありながら腑に落ちる言葉だ。また彼は、旅は「自分で作るもの」だとも述べる。たとえ団体ツアーであっても、自ら「行きたい」と願った瞬間に旅は始まっている。人の思いが叶えられる途上にあるという状態が、旅なのかもしれない。そうだとしたら、大人たちによって行程が定められた修学旅行でさえも、その途中で思ったこと、考えたことに従って自分のからだを動かすことができたら、それは旅になるのだろう。
そして、何を思い、何を考えるかということが旅にとっては重要となる。沢木にとって旅の意味とは、ただ「行く」ことでは終わらない。そこで「自分で何を感じ、何を考えるか」にある。彼が危惧するのは、旅が「行くこと」だけを目的化してしまう状況だ。本書が刊行されて15年以上経った今、その危機はより強まっている。SNSの隆盛によって、旅は「行った」事実を他者に示すための手段となりやすくなった。SNS映えが強く意識される現状は、かつて沢木が旅にカメラを持って行きながら、ほとんど使わなかったというエピソードと対照的である。
しかし裏を返せば、自分で「感じ、考える」旅は、どこでも始められるということでもある。インドからロンドンへ向かわずとも、日常のすぐそばに、世界はひらけている。沢木の大規模で途方のない旅は、伝説的な冒険譚であると同時に、多くの人の旅へのハードルを上げてしまったとも言えるかもしれない。しかし、広大な世界へ飛び出す準備が今は整っていなくとも、「感じ、考える」という方法で世界と向き合えば自分がどこにいても「旅の途上」であることはきっと可能だ。本書は、その第一歩を静かに後押ししてくれる。
書き手:伊東愛奈