終戦から80年。稚内市在住で樺太引揚者の濱谷悦子さん(86)は、引き揚げの際に母と濱谷さんを含む子ども4人で稚内に行き着くまでの出来事を鮮明に記憶し、手記に残している。母が所有していた毛布状の防寒具「角巻」は、全国樺太連盟から北海道博物館に移譲され、現存する貴重な樺太の資料の1つとして大切に扱われている。これが旧瀬戸邸で展示され、数十年ぶりの角巻の感触に濱谷さんが思いを寄せた。
濱谷さんによると、この角巻は1937年に父・駒吉さん、母・みさをさんが結婚した際に樺太で買った。濱谷さんは4人きょうだいの長女で生まれは樺太の大泊。生後3か月の頃、豊原に移った。大きな転機を迎えた1945年8月15日の終戦。同時に多くのソ連兵が樺太を侵攻。樺太に住んでいた日本人の引き揚げが余儀なくされた。
5歳だった濱谷さんは家族と共に、港がある大泊に行くため、豊原の駅へ。駅の近くで野宿した際に角巻で身を温めた。「8月だったが夜は冷えていた。角巻の温もりはいまでも憶えている。母にとって大切なものでした」と振り返った。大泊から引揚船で稚内に上陸し、闇夜の北防波堤ドームを歩いた時には「幼かった子ども達が泣き出してしまい、母が角巻で包んでくれて安心させてくれました」と語り、角巻が心の支えになったという。
その後、母の実家がある声問で生活。みさをさんは樺太連盟から資料として物品等の提供依頼を受け、角巻を預けたという。濱谷さんによると、昭和30年代か40年代頃のこと。過去に樺太資料等の移動展で稚内でも角巻が展示されたが、今回久しぶりに触れることが出来たという。
濱谷さんは小学生の頃、当時は樺太引揚者というだけで、いまでは考えられないほどの差別を受けた。引揚者への資料提供依頼について「この頃は樺太に住んでいたことを話したくない人、思い出したくない人が大勢いた。樺太に関連する資料提供も難しい中で、母と私達の命を繋いだ角巻を預けたということは大きな意味があった」などと語った。
戦争の悲惨さや平和の大切さなどを伝えるため、自身の思いなどを手記に残している濱谷さん。「記憶を形に残し、後世に伝えていかなければならない。終戦から80年が経ち、戦争を知る人も減ってきた。実体験を伝えることで少しでも関心を持ってほしい」と熱を込めた。
角巻は、宗谷管内学芸職員連絡協議会や各市町教委が主催する管内巡回展・宗谷の昭和100年—戦争の時代から復興へ—の一環で旧瀬戸邸に展示。濱谷さんの体験などを解説する資料もあり、市民などの来館を歓迎している。展示は今月28日まで。
(梅津眞二)
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