「馬肥ゆる秋」というが、愛馬ハナも冬に備えてか、気候が良く食欲が増進してか、秋になると一生懸命草をはむ。「さわやかで心身共に心地よい秋の季節」を「天高く馬肥ゆ」とたとえるそうだ。
ハナは下川町内を遊牧しながら暮らしている。春夏にまちなかに近い、美桑が丘の森林、秋に一の橋市街地林内、時々まちなかの自宅庭、そして2023年まではそれ以外の時期に三の橋の牧草地で放牧していた。
三の橋牧草地に放牧中のハナは、秋になると遠くにある草まで食べて、草木の実を体にいっぱい、つけてくる。大きな実はオオオナモミだろう。小さな緑色の実は、オオダイコンソウだろうか。
この時期ハナの前髪、たてがみ、尾の毛に絡みながらついた実を、ブラッシングをしながら、取り除くのが筆者の日課の一つでもあった。
<名寄新聞の2021年9月28日付掲載記事を基に再構成しました>
今回はさらに、2016年1月に名寄市在住の畠山フクさん(当時・82歳)からいただいたお便りの中から「馬の思い出」を抜粋して紹介したい。
それによると畠山さんは子ども時代、下川町内の上名寄駅付近で暮らしていたが、冬になると何十頭にもなる馬が駅まで丸太を運んで来たらしい。
「テレビもない時代だから、そのにぎやかさが楽しくて見ていた」。一方で「疲れて引けなくなった馬が、叩かれる様子がかわいそうだった。人は欲と生活に追われ、馬を酷使していたのかもしれない」と振り返る。
文明が進むと馬が要らなくなる「人間の身勝手さ」にも触れており、筆者も同感である。馬は人にとって信頼し合える友・パートナー、家族である。使い捨ての道具ではあってはならない。
畠山さんは「終戦直後は今の乗用車が馬で、遠くへ行くときは汽車だった。馬の時代に戻れとは言いませんが、原点に帰ることも大切のように思います」と記している。
畠山さんの手紙を読んで感動した。連載を読んで感じるだけでなく、その思いを手書きで手紙に書いて、郵送で届けてくれた。一歩踏み込んで、思いを伝えてくださったことを深く感謝している。
筆者が馬を飼い、連載を始めたのは、馬と共に暮らした方々に当時の暮らしを振り返っていただき、馬の暮らしに憧れるこれからの世代にも関心を深めてもらい、馬を通し世代間を結び、皆さんと暮らしを見つめ直す機会としたかったからである。
今後も紙面を通じて、読者の皆さんと「馬との暮らし」を見つめ直していけたら幸いです。
<2016年1月25日付名寄新聞掲載の記事を基に再構成しました>