自衛隊イラク派遣から20年 5

⑤派遣された現役・OB隊員の声4

小山敦さん(50)は、士別市の出身。
1992年4月に陸上自衛隊に入隊。名寄駐屯地で前後期の教育課程を修了後、同年9月に第3普通科連隊(当時、以下「当時」を省略)第2中隊に配属。
イラク派遣時は、同中隊の2曹。イラクでは、警備中隊の警備陸曹として警備、警護、操縦などの任に当たった。
第2師団での事前訓練は大変厳しく、現地の気候、危険生物、語学、米軍からの教訓などを、朝から晩まで座学で叩き込まれた。その後、操縦訓練、徒手格闘・市街地戦闘訓練、要人警護、不整地高速走行訓練など、あらゆる事態を想定した訓練を受けた。
イラクには、本隊に先立ち、先発隊として2004年2月3日に出発。第3普通科連隊から小山さんも含めて約30人が同行し、帰国までの4カ月弱、任務を遂行した。
当時は、車両整備などが主な任務であったことから、派遣に選ばれるとは思っておらず、イラク行きを告げられた際は、家族の反対もあり、「希望はしませんが、命令には従います」と述べ、中隊長から「『じゃあ、決まりだ。守るべきものがない奴は、危なくて行かせられない』と話していた言葉が忘れられない」。
先遣・先発隊の当初任務は、「過酷な環境で、超きつかった」と述べる。
最も印象に残っていることとして、命令を無視して人命救助したことを挙げる。サマーワからクエートに向かう途中、正面衝突した車両を発見。現地では、爆発物を仕掛けている可能性があることから、民間車両などへの接触は禁止されていたが、車内で老人が血を流していたこともあり上官と相談して救急車を手配。「老人の無事が確認された際は、安堵した」と話す。
20年を振り返り、「厳しい訓練と派遣は、未だに体に染みついている。人生一度きりの貴重な経験をさせていただき感謝」。
帰国後は、同連隊第2中隊などを経て、現在は、第3即応機動連隊本部の最先任上級曹長。
子ども1人と妻の3人家族。趣味は、バイクとスキー。

藤原雄司さん(65)は、名寄市の出身。
1977年4月に陸上自衛隊入隊。神奈川県武山駐屯地で教育隊を修了後、同年11月に第3普通科連隊に配属。その後、同連隊の中で異動し、イラク派遣時は、対戦車中隊の曹長。
事前訓練を3カ月間受け、イラクには本隊第1波の一員として2004年2月21日に出発し、5月の帰国まで約3カ月間、警備中隊の警備小隊警備班長として任務に当たった。
現地では、使用の有無にかかわらず、銃器等の装備が認められていたことから、「訓練期間中は、不安や緊張感があった」と述べる一方、「番匠司令が支援群長のため、安心感があった」と話す。
警備業務は、イラクでの復興支援活動が順調に進むよう、周辺の警護・警備を行うことで、警備班長として尽力した。
現地は、「戦闘の残骸や焼け野原など戦後の日本のようで、貧困状態でもあり、復興には相当の時間がかかると思った」と述べる。また、特に水や食料が不足していたことから、子どもたちに食べ物などを一部援助した。
派遣された自衛隊員への現地の人の印象として、「親日家が多く、日本人のことをよく理解してくれた。災害派遣や復興支援のイメージのようだった」と笑顔で話す。
また、現地の福利厚生の一環として、名寄から太鼓を持参し、朔北太鼓を披露した。
イラク派遣後は、再び同連隊に戻り、広報班長を約5年間務め、3代の司令に仕えた。
退職後、13年からNPO法人なよろ観光まちづくり協会に勤務し、現在は管理係として「よろーな」の管理業務に従事している。
子どもは独立し、妻と2人暮らし。趣味はサイクリング。

山本幹雄さん(63)は、和歌山県新宮市の出身。
1981年2月に大津駐屯地の教育隊に入隊後、同年6月に第3普通科連隊に赴任。その後、同連隊の中で異動し、イラク派遣時は、本部管理中隊の1曹。
第2師団で事前訓練を約3カ月間受け、本隊第1波の一員として出発し、5月の帰国まで3カ月間、群本部の文書陸曹として、復興支援群全体の調整や、派遣隊員の服務規程など、各種規定等の作成業務に携わった。
番匠群長など幹部と行動することも多く、その際は、第1次イラク派遣隊の隊旗の旗手としての役割も果たした。
隣国クエートや、イラク国内各所への訪問も多く、現地では、「一部富裕層と、労働者・貧困層などとの極端な格差社会を感じた」と話す。
復興支援の中心都市サマーワをはじめ、イラクは、戦後の焼け野原状態で、「貧困で教育を受けられない子も多く、平和である日本の有難さを肌で感じた」と述べる。
特に、子どもたちは、水や食料、文房具などを欲しがり、一部持参したもので援助した。朝晩と日中の寒暖の差が大きく、「体調管理に苦労した」とも。
派遣から20年が経過し、「派遣当時が、心身ともに充実した一番良い時だった」と振り返り、「イラク派遣の任務が、今日の我が国の為になったのであれば、とてもうれしく思う」と笑顔で述べる。また、朔北太鼓もレクリエーションの一環として、現地で披露した。
派遣後も、第3普通科連隊に戻り、本部管理中隊の3尉で14年11月に退職。15年4月から、北国博物館の業務係として、管内全般の管理業務を担っている。
子どもは独立して妻と2人暮らし。趣味はオートバイで、原付から1600ccのハーレーまで乗りこなす。(松島)