宗谷北線運輸営業所が発足 ワンマン運行開始、貨物列車廃止も
貨物や荷物の取り扱い廃止、駅の無人化など、あらゆる合理化が進み、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化、JR北海道発足を迎えた。89年(平成元年)5月1日には名寄本線(名寄~遠軽間、中湧別~湧別間)が廃止されるとともに、名寄車掌区も姿を消し、旭川車掌区に統合された。
さまざまな部署で人員削減も進み、別部署への異動をはじめ、道外への広域異動に応じる職員もいた。一方、JRには不採用となり、国鉄清算事業団(98年10月22日解散)に配属を命じられ、後に解雇される職員も多く、名寄をはじめ各地で解雇撤回とJR復帰を求める闘争団が結成された。
名寄機関区は86年(昭和61年)11月1日、旭川機関区名寄支区として規模が縮小された。JR北海道発足後は旭川運転所名寄運転支所(89年5月1日から名寄派出所)となり、保線の名寄工務所も置かれたが、91年(平成3年)11月13日に宗谷北線運輸営業所が発足した。
同営業所は、名寄~稚内間の運営をJR北海道旭川支社から独立させ、計画と現業の2部門を置き、「ミニ支社」的な性格となった。計画部門は企画・総務、運輸・営業、設備管理、現業部門には駅業務、保線、電気、営林などの部署を置いたが、職員数が削減されたため、沿線自治体では「収益の上がらない線区を切り捨てる合理化の一手段としか思えない」と警戒していた。同営業所は2017年(平成29年)4月1日に廃止、名寄保線所、名寄運転所に改組され、再び旭川支社の管轄となった。
また、列車運行では普通列車と快速列車がワンマン化され、1992年(平成4年)10月1日から旭川~名寄間で、93年(平成5年)3月18日から名寄~稚内間でもワンマン運行となった。
貨物列車は84年(昭和59年)2月1日に宗谷本線の名寄~稚内間で運行が廃止された後、旭川~名寄間のみで運行されてきた。末期は道北一帯から年間約8万tの農産物や乳製品などを集荷し、1日1往復のみ運行してきたが、名寄駅での貨物取扱量減少を理由に、貨物輸送をトラック業者に委託し、機関車や貨物列車の運転経費や人件費などのコスト削減を狙いとし、96年(平成8年)9月1日に北旭川貨物駅~名寄間の貨物列車運行が廃止され、トラック代行輸送となった。JR貨物の名寄駅は北海道内初の「自動車代行駅」となり、2006年(平成18年)4月1日から「名寄オフレールステーション」となった。
1996年(平成8年)7月には旧国鉄名寄総合庁舎が解体、99年(平成11年)11月には旧名寄機関区の給水塔が解体され、国鉄の名残がさらに消えた。同庁舎跡地は駐車場となった後、2013年(平成25年)4月1日に駅前交流プラザ「よろーな」がオープンした。
並行道路が未整備として廃止を免れていた深名線(深川~名寄間)は、1991年(平成3年)10月1日に道道688号名寄遠別線の名母トンネル(幌加内町母子里~名寄市瑞穂間)が供用開始するとともに、列車の利用客も少なくなってきたことから、93年(平成5年)ごろから存廃問題が浮上してきた。
(続く)

1991年9月20日掲載の名寄新聞

1991年11月14日付の名寄新聞