開拓期から現代へレールつなぐ 士別~名寄間 鉄道開業120年

国鉄時代にも廃止の懸念 JR単独維持困難な線区の今後

JR宗谷本線の名寄~稚内間は「JR単独では維持困難な線区」に位置付けられ、存廃の岐路に立たされているが、国鉄時代にも宗谷本線が廃止される懸念があった。
当時、国鉄は廃止対象となる特定地方交通線を第1次から第3次まで選定し、運輸省が承認した。
廃止基準は以下の通りだった。輸送密度は1977年度(昭和52年度)~79年度(昭和54年度)の平均としている。
第1次特定地方交通線
1.営業キロ30km以下の行き止まり線かつ輸送密度2千人/日未満
2.営業キロ50km以下かつ輸送密度500人/日未満
第2次特定地方交通線 輸送密度2千人/日未満
第3次特定地方交通線 輸送密度4千人/日未満
84年(昭和59年)8月10日、国鉄再建監理委員会は国鉄経営改革のための第2次緊急提言を当時の首相、中曽根康弘に提出した。同提言では国鉄分割民営化を明確に打ち出すとともに、余剰人員問題の早期解決、第1次・第2次特定地方交通線の廃止促進と第3次特定地方交通線の選定調査への着手などを盛り込んだ。
同提言を受け、国鉄は84年12月1日、第3次特定地方交通線の選定のための事前調査を行うよう全国の鉄道管理局に指示した。
廃止基準に当てはめると、宗谷本線は第3次特定地方交通線の対象となったことから、沿線では廃止反対、存続に向けて運動や請願を行った。
一方、特定地方交通線には除外規定があった。基準は以下の通り。
1.ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1千人超
2.代替輸送道路が未整備
3.代替輸送道路が積雪で年10日以上通行不可能
4.平均乗車キロが30km超かつ輸送密度が1千人/日以上
宗谷本線は除外規定の1番に該当し、廃止を免れた経緯がある。
名寄本線(名寄~遠軽間)、深名線(深川~名寄間)、美幸線(美深~仁宇布間)、天北線(音威子府~浜頓別~南稚内間)、羽幌線(留萌~幌延間)など多くの支線が姿を消した中、現在、旭川以北では唯一の鉄道路線であり、特急列車も走るようになった宗谷本線は安泰のようにみえたが、沿線の過疎化が進行し、利用客も減少している。
そうした中で、名寄~稚内間が輸送密度2千人/日未満の「JR単独では維持困難な線区」と位置付けられたのである。単独維持困難線区は国や道、沿線自治体の費用負担を前提に存続を目指すとしているが、財政状況が厳しいこともあるため、負担割合をめぐって隔たりが続いている。
沿線自治体などで構成する宗谷本線活性化推進協議会では、鉄道の存続を目指して要望や陳情を行っているところだ。
利便性の向上として、2022年(令和4年)3月12日ダイヤ改正に合わせて、名寄高校駅が開設された。東風連駅を名寄・稚内方面に移設したもので、名寄高校生徒の通学が格段に便利となった。
利用客増加に向けて、観光列車が運行するようになり、19年(令和元年)7月から9月まで「風っこそうや」を運行。全国から多くの人たちが乗車するとともに、停車駅では歓迎イベントも開催され、大盛況だった。コロナ禍で中断もあったが、22年(令和4年)と23年(令和5年)の5月から6月まで「花たびそうや」、23年9月には豪華観光列車「ロイヤルエクスプレス北海道」が運行し、にぎわいを見せた。24年(令和6年)も5月11日から6月2日までの毎週土・日曜日に「花たびそうや」が運行する。
沿線人口が減少している中、住民に乗ってもらうだけでは利用客を増やすことは難しいだろう。やはり、沿線外から客を呼び込むことが必要不可欠である。
そのためにも、沿線市町村に来てもらうための積極的なPRや発信、魅力づくりが求められている。
沿線に訪れやすくするためには、利用しやすい列車の設定である。現在、特急列車3往復のうち札幌直通は1往復のみで、残る2往復は旭川止まりとなっていることから、3往復全てで札幌直通を復活させるなど、利便性を向上させることも必要だ。
その他、路線バスなど他の公共交通機関との乗り継ぎ改善に加え、沿線自治体からの支援も得ながら、通勤・通学定期券料金の助成や特急料金割引の実施など「利用しやすい」「利用したくなる」列車を目指していくべきである。
名寄~稚内間の将来的な廃止も懸念されているが、宗谷本線は旭川~稚内間の全線で残していかなければならないのは言うまでもない。
(終わり)