馬にも方言?昔の笑い話&一の橋神社とハナの物語

草をおいしそうにはむ、
筆者(小峰)の飼う馬・ハナ

今回は下川町在住、佐藤馨さん(寄稿当時80代)からいただいた、馬との思い出『馬の笑い話』から抜粋して紹介したい。また次回のハナカフェ誕生秘話の前にそのきっかけとなるハナの一の橋出張放牧の始まりの話を再度掲載する。

 佐藤さんから寄せていただいたのは、昭和20年代後半の話。佐藤さんは秋仕事を早めに終わらせ、でんぷん工場に小遣い稼ぎにいったそう。親方の妹で帳場を務める光子さんと仲良しで、親方の家へ後始末の手伝いにも行った。
 近所の農家から借りた馬で、工場近くの干し草を集める作業。干し草を少し積むと、道外から来た弟子が馬を移動するために「ドウ」と言ったが動かない。手綱で馬の体を打つと、馬は驚いて耳を立て、手綱を踏んだ。
 光子さんは佐藤さんに「弟は『チョイ』と言っていた。私は馬を使ったことがないから、あなた使ってみて」と頼んだ。
 佐藤さんは恐る恐る「バイキ」と言うと馬が後ろへ下がり、手綱を取って「チョイ」と言うと、前へ動き出した。
 「バイキ」「チョイ」「オウ」に反応する馬に思わず、みんなで大笑い。作業が終わり、佐藤さんは「でんぷんをお礼に持って、馬を返して来て」と頼まれ、馬と共に馬の持ち主である農家のもとへ行った。
 農家のお母さんは、佐藤さんから馬が「ドウ」に反応せず「チョイ」に反応した話を聞くと、馬の鼻をなでながら「そうか、お前英語が分からないか」と笑った。佐藤さんが「『ドウ』が標準語で『チョイ』『バイキ』『オウ』は北海道弁なのかもしれませんよ」と話すと、2人で大笑いした。
<今回は名寄新聞の2020年7月8日付掲載記事を基に再構成しました>
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続いて一の橋の出張放牧の話を再び紹介する。
2017年の5、6月は筆者が飼うドサンコ「ハナ」を、下川町中心市街地付近「美桑が丘」で林間放牧し、乗馬体験などを展開したが、7月10日から同19日までは、町内一の橋地区市街地で放牧した。
 筆者は25年ほど前(1998年)に一の橋へ移住し、町内西町へ転居するまでの10年、ここで住み続けた。いわば「心の古里」で、住む人たちは家族のような存在。高齢化などで、当初からの住民が減少する中、少しでも楽しんでいただきたいとの思いで、一の橋に住む友人と、愛馬ハナの移動放牧を決行した。
 愛馬の移動はもちろん乗馬。自転車で走るサークルの皆さんと共に、三の橋から一の橋までの13㌔を走った。移動日は猛暑となり、愛馬も体力を振り絞って走り切った。
 愛馬が一の橋へ到着すると、さっそく同地区に住む幅広い世代の人々が集まってくれた。馬は人をつなぐ魅力がある。
 期間中、同17日に愛馬を放牧する柵沿いで、一の橋に住む若者たちが、愛馬と触れ合う野外食事会を開催。自転車サークル6人が町内市街地から来場し、筆者や一の橋住民を加え15人で交流し、乗馬体験も提供した。これはいずれとある地域イベントのきかっけにつながっていくことになる。
 愛馬を移動放牧した場所は、一の橋神社通沿いの元牧場敷地内。筆者が以前、移動式住居ゲルを設置し、野外活動として使っていた場所でもある。
敷地の樹木を利用し、自前の電気牧柵を張って放したが、じつのところ、神社に呼ばれたのではないかと感じている。
 一の橋神社は福島県の「相馬神社」と「中村神社」に由来するが、中村神社では「相馬野馬追」の出陣式が行われ、付近には馬を飼う厩舎もあるらしく、一の橋神社と馬は縁がありそうだ。

<名寄新聞の2017年8月21日付掲載記事を基に再構成しました>