合併に至る経過①
旧風連町と名寄市が2006(平成18)年3月27日に合併して、来年3月に20周年を迎える。フォーカス第7部は、合併を巡る当時の状況と、合併後の20年のまちづくりなどについて、人口問題、経済、財政などの視点と関係者の声を聞き、全13回(予定)にわたって掲載する。
2001(平成13)年4月、「自民党をぶっ壊す!」と熱狂して自民党総裁選に勝利した小泉純一郎氏が内閣総理大臣に指名された。小泉内閣は「地方にできることは地方に」の理念のもと、国の関与を縮小し、地方の権限・責任を拡大して、地方分権を一層推進することを目指し、「国庫補助負担金改革」「税源移譲(所得税から個人住民税への税源移譲)」「地方交付税の見直し」の、いわゆる「三位一体改革」を推進した。
総務省が公表している「三位一体改革の成果」(表1)によると、04年度から06年度までの3年間で、地方交付税は約5.1兆円削減されている。03年度以前を含めると、削減額はさらに大きくなる。
1965(昭和40)年に制定された「市町村の合併の特例に関する法律」は、市町村の合併を促進するため、合併による特例措置などを設けて10年間の時限立法として更新されてきた。
99年、2000年、04年の改正では、普通交付税のさらなる合併算定替の期間延長、合併特例債(元利償還金の7割を地方交付税で措置)の創設、市となる要件の緩和、合併特例区制度の創設など、合併促進策が盛り込まれた。また、04年改正では、これらの優遇措置が05(平成17)年3月末で期限切れとなるため、市町村の議会議決を経て、都道府県知事に合併申請し、06年3月31日までに合併した場合、優遇措置が延長されることとなった。
このような状況下、02(平成14)年には、風連町、名寄市、下川町の3市町は「広域行政研究会」を設置して、広域行政の在り方を研究し報告書にまとめた。前後して風連町議会では、合併協議について、名寄市と協議を進めるべきか、士別市と進めるべきかを議論した結果、名寄市と協議すべき―との意見が僅差で上回った。翌03年6月には、風連町、下川町、美深町、音威子府村、中川町が、5町村による任意の合併協議会(会長・岩木実美深町長)を設置。名寄市も協議会への参加を申し入れたが、5町村は名寄市を除いて協議を開始した。名寄市に対する5町村内の温度差が大きかったと言える。島多慶志市長の粘り強い働きかけなどもあり、同年9月30日に名寄市が加入して6市町村による任意合併協議会となった。
しかしながら、面積は広大で人口は少なく、国が求める合併の効率化などを見通すことができなかったことから、04年1月に協議会は解散した。
市町村の行財政基盤の確立を主な目的とした合併は、国のいわゆる「アメとムチ」の政策(合併優遇策と地方交付税の削減)により、合併優遇の経過措置が切れる06年3月に合併が集中し、全国の市町村数は大きく減少。1999年4月に3229あった市町村は、2006年3月末で1821となり、43・6%も減少した。
広大な北海道は、212市町村が180(現在は179)となり減少率は15・1%で、全国平均より低い。全体として、東日本に比べて西日本の方が合併が進み、市町村の減少率は高くなっている。
*肩書は、いずれも当時。





