風連町・名寄市合併20年を迎えて
第3回 合併の成立と新市のスタート
前回までに述べたように、2004年度は法定協議会の設置・協議、風連町での住民投票、議会での合併の議決、申請など、大きな動きがあった1年間であった。
05年度は、基本項目等の合意に基づき、条例・規則等の制定などを中心とする細かな作業が行われた。合併協議会の事務局(専従職員として風連町から2人、名寄市から4人を派遣)を市民文化センターから市民会館3階に移転して市役所との連携強化を図った。8月には、新市の基本組織について、総務部、生活福祉部、教育部を名寄庁舎に、経済部と建設水道部を風連庁舎に設置することが固まった。また、10月には、両市町の社会福祉協議会が合併に調印した。11月には、条例規則など49項目の全てのすり合わせを終了。06年2月には、名寄市の建設部職員が風連庁舎に一足早く引っ越しし、3月24日には両市町で閉庁式を行い、3月27日に新名寄市が誕生した。
足掛け4年に渡って取り組んだ市町村合併は、同日の風連町と名寄市による新名寄市の誕生により成就し、新たなスタートを迎えた。
この間、両市町は、合併に対する住民の理解を深めるため、多くの住民懇談会などを開催し、丁寧に説明した。住民の理解と、財政に対する危機感から合併を求める声が多かったものの、やはり、柿川弘町長と島多慶志市長の「個人的な信頼関係が強かった」と言える。また、島市長が「心の合併」を訴えたことも大きかった。05年2月に風連農協、名寄農協、智恵文農協が合併して現在の「道北なよろ農協」が誕生したことも後押しとなった。
新設合併のため、新市誕生により特別職は失職。一方、市議会議員は、名寄市の議員が任期満了となる07年4月までの1年間、在任特例期間を適用したため、両市町の議員合計35人(風連町14人、名寄市21人)で市議会を構成した。既存の座席の前に、座席を設置するなどして、議場の改修を行った。
新市長が決まるまでの間、風連町長であった柿川弘氏が職務執行者を務め、4月23日行われた市長選挙で氏が当選し、新名寄市の初代市長となった。
合併後の5年間は、旧風連町に合併特例区が設置され、行政区設置、都市交流事業などの事業を、特例区が主体で実施した。
旧風連町では、07(平成19)年に住民移行審議会を設置し、行政区から町内会への組織の見直しと区域の再編について協議をはじめ、翌08年に現行17行政区を13町内会に答申。答申後の協議を経て、10年4月に風連地区の14地区町内会が「名寄市町内会連合会」に加盟した。
また、市議会議員は、在任特例期間が1年間で終了。07年4月22日執行の選挙では、風連地区8人、名寄地区18人の定数に、風連地区で9人、名寄地区で19人が立候補。少数激戦の激しい選挙戦が行われ、26人の新たな選良が選出された。なお、11(平成23)年以降の市議会議員選挙は、新名寄市を一つの選挙区として、選挙が行われている。
※肩書は、いずれも当時。



と西村会長-1024x680.jpg)

