著者:越智敏之 出版社:平凡社 出版年:2014年
親に満足に学業に専念させてもらえたというのに、私は歴史に疎い。中学生までに習う歴史はきちんと学んでいたが、理系を選択した高校では歴史を学ぶカリキュラムが整っておらず、大学でも理系の学部を選択していたため、私の歴史教育は、高校一年生の、テストの点数をそれなりに取るためだけに適当に勉強した世界史Aの授業が最後である。けれど時々人から聞く世界史の話は非常に面白く、早く勉強しないとなあ、という気持ちだけが急いて、部屋に世界史の参考書が積みあがるのみ、知識が蓄積されることは、大学生活、ついぞなかった。しかし四月から社会人となる身、様々なことに精通し、好奇心を持っていたい。ということで、私はしばらくの間、世界史の本を読むこととした。
といっても、高校の世界史の教科書を黙って読み、配られたワークの問題集を解くには、少し年を取りすぎた気もする。大学に入り、様々な面白く、興味深いものを知ってしまった今の私に、一日八時間×五日間=半ば義務教育的に教室に座って板書を写すことは到底できない。
そこで、「ある視点から見た世界史」というテーマの本に絞り、それらを読んでいくことで、歴史についての視座を養っていこうと思う。
今回は、魚、特にニシンとタラである。私は漁師の家の生まれであり、小さいころから魚に親しんできた。けれどその歴史についてはあまり知らず、それに対して少々負い目を感じていた。この際だから学んでやろう。
といっても、ニシンとタラ、である。今回紹介する本のサブタイトルは「ニシンとタラとヨーロッパ」である。なんとなく、その二種類の魚にヨーロッパを背負うのは無理があるのでは、と思ってしまう。しかし、しばしば食卓に上る一匹の魚が、国家の興亡や人々の信仰、果ては民主主義の誕生にまで影響を与えてきたか、そのダイナミズムを、私は思い知らされた。
読み始めて驚いたのは、魚がいかに宗教的な存在とした扱われてきたという事実だ。魚はたくさんの卵を産む、多産の生物である。その事実から生命そして復活の象徴とみなされ、キリスト教文脈にも深く組み込まれてきた。また人間の欲求を克服するために設けられた「断食日」も、時間が経つにつれて魚を食べることは、理由ははっきり分からないが、許されていったらしい。断食日もそのうち、「フィッシュデイ」と呼ばれていったらしく、キリスト教のいい加減さ、もとい柔軟さにもかなり驚かされた。ともかく、偶然性も大きい話だが、宗教的な要因において、魚を食べることの需要は大きかった。
しかし、冷蔵庫も、運搬のための道路もろくにない中で、ヨーロッパ全土に魚を満遍なく届けるというのはなかなか至難の業である。そもそも保存性が高くなければ腐ってしまうし、体積が大きければ運搬の効率も上がらない。そういった背景の中で、安定供給に耐えうる魚が求められていた。
そこでまず目を付けられたのがニシンである。ニシンは群れで回遊するため、一度の漁で多くの漁獲量を得ることができる。不飽和脂肪酸が多いため日干しすると酸化=腐ってしまうが、塩漬けにしてしまえばある程度の保存性を得ることができた。余談であるが、世界一匂いのキツい食べ物として知られるシュールストレミングは、ニシンの塩漬けを過剰に発酵させたものである。
しかしニシンの扱いは割と難しい。その理由の一つに回遊コースの変更がある。ニシンは一年を通して一定の漁場に居座ることなく、あるコースを周回する。しかしそのコースは、こちらも理由がまだはっきりと分かっていないが、突如変わってしまう。そのせいでニシンが獲れなくなる。ニシンによって栄えた国が、回遊コースの変更によって、滅んでしまうこともあったらしい。読者の方々には、小樽のニシン御殿の現在のありようを思い浮かべていただけたら分かりやすいだろう。
そこで現れたのがタラである。タラはあまり脂肪を含まず、日干ししても腐りにくい。塩漬けするとさらに保存性が上がり、水も抜けて体積も非常に小さくなる。前述した、需要を見事に適したタンパク源であることがわかったのである。
これらの保存食は、目の前に二四時間営業のコンビニがある、我々の生活にはあまり分かりにくいが、非常に重要であった。十六世紀ごろの大航海時代においては、干しタラの量が、どれだけ長い間漁ができるか、に直結した。つまりどれだけタラを獲り、保存食にできるかどうかが、国力の差につながっていったのだ。
前述したフィッシュデイについても似たような話がある。イングランドのヘンリー八世がフィッシュデイの遵守を禁止した。つまり、断食日なんだから、断食しなさい、という至極真っ当なものである。そのお触れによって、当然であるが漁業の需要は少なくなり、漁船の数も減っていった。しかし当時、戦争を行うとすれば、立派な軍艦もあるはずもなく、漁師たちが使っていた漁船を流用していたらしい。その結果、知らぬ間にイングランドの国力が低下し、戦争に負けてしまった。なんというバタフライエフェクト。
このように軍事力や国力という面でタラは非常に重要であったが、自由にはどのように関わってくるか。舞台は独立前夜のアメリカである。漁師たちは、タラ漁によって生計を立て、自らの判断で漁場へ出て、稼いだ分だけ豊かになるという生活を送っていた。そこに課税や規制といったイギリス本国の干渉が及んでくる。そのときの彼らの反発は単なる経済的不満にとどまらなかった。自由に稼ぎたいという個人的な欲望はやがて、同意なく課せられる税への政治的な問いへと昇華していくのだ。重要なのは、この自由が常に政府から与えられてきたものではないという点だ。むしろそれは、政府と対立し、戦い続けることで勝ち取られてきたものである。稼ぎたいという素朴で個人的な欲望が、権力との摩擦の中で政治的な権利意識へと育ち、やがて民主主義の思想的基盤の一つとなっていく。この流れを本書は一本の糸のように丁寧に手繰り寄せており、読み終えたとき、民主主義の起源についての見方が静かに、しかし確実に変わっていることに気づく。
どうだろう、食卓に上げられた目の前の魚が、雄大にさえ思えてくる。少なくとも私にはそう見えた。
本書の最後には、どのようにして魚が直接的に人間の営みを支えてきたか、言い換えればどのように調理すれば美味しく食べられるか、レシピも十数ページに渡って載せられている。結局は、魚も学習も、うまみがないとやってられないのである。
書き手:高橋龍二

