著者:坂口菊恵 出版社:創元社 出版年:2023年
LGBTに関する話題が日々世間を騒がせ、男女の分断を強調するような主語の大きい意見が今日もどこかで炎上している。
それに共感するか反対するかはひとまず置いておいて、こうした内容を目にすると、自分が今まさに全世界的な価値観の過渡期の只中に生きていると感じる。自身の価値観を相対化するために読んで欲しいのが、今回紹介する『進化が同性愛を用意した』である。
本書は、人々が異常と見なして排除してきたマイノリティ・同性愛について、生物学や心理学、社会学などの観点から同性愛は「異常ではない」と反論する試みを行おうとする。
子孫繁栄に直接寄与するようには見えない同性愛が、なぜ淘汰されずにいるのか。様々な動物において確認される同性間性行動の事例を挙げ、ヒトにおいても歴史上同性愛を良しとする文化や時代があったことを見ていくことで、著者の坂口はテーマに迫っていく。
生物学に精通していない人にとって、本書に登場する多種多様な生き物達の同性愛的行動は驚かされるものばかりだろう。坂口は、これまでの科学的区別である「セックス」には生物の性行動などを説明することの限界があるとする。その代わりに、社会学において性役割を意味する「ジェンダー」という表現を用いる。例えば、オスでありながらメスに擬態する鳥や、体格的にも社会的にもオスよりメスが優位なハイエナ、性別の変わる魚、雌雄同体の生物など。単純に身体的特徴の区別だけでは説明しきれない生き物はたいへん多くおり、その生態を語るにはジェンダーという言葉の方がより包括的な場合がある。ただし、人間におけるジェンダーよりも広い意味合いで、性行動における役割という程度のニュアンスであることに注意されたい。
また、同性愛を異端とする価値観は人間の歴史の中で比較的新しいとも坂口は述べる。ここでいくつか取り上げると、古代ギリシア・ローマにおいて同性愛が異性愛同様一般的であったこと、中世ヨーロッパの騎士道的献身愛や日本の男色文化など、いずれも同性愛が社会的に認められていた事例である。これによって同性愛は「異常ではない」という考えを補強し、多様性に開かれた社会を願って本書の試みは幕を閉じる。
ジェンダーという概念を生物学に取り込み、社会学的観点も含めて論じようとするこの思索は、いくつか問題含みな点もある。
同性間性行動が生物に一般的に見られるからといって、即座に同性愛と結びつけてよいのかという疑問だ。本文で語られるように、同性間性行動は異性との接触機会が少ないから生じる場合があり、この場合同性愛的というより両性愛的である。つまりそれは、私たちが意味するところのゲイやレズビアンではなく、バイセクシャルに近い。人間の同性愛の事例として挙げられたものも、年齢を経れば女性と結婚するなどしており、現代的にはバイと呼ばれる人々が大半だろう。
また、同性愛にはゲイだけでなくレズも含まれるにもかかわらず、女性同士の歴史的事例については極端に引用が少ない。
異性愛のみが普通であるという価値観を変容させようという試みにおいては本書は革新的であるが、人間の性的指向を科学的に解明するという観点からは今後より一層の分析が期待される。
生物学にジェンダーという概念を持ち込むという思索自体が現代だからこそ生まれた書籍ではないだろうか。日々価値観のアップデートを忘れずにいたいものだ。
書き手:せを