著者:武田百合子著, 野中ユリ画 出版社:作品社(文庫版は筑摩書房) 出版年:1984年(文庫版は1991年)
食事や食物に関するエッセイは読んでいて楽しい。そういう文章の書き手は皆美味しいものが好きで、美味しいものの作り方をよく知っている。きっといつも食べ物のことを考えていて、美味しいものとの出会いや体験をしっかりと拾い上げ、味わうことに長けているのだろう。だからそういうテクストは楽しい驚き、食べ物をいただくことそのものの幸せや季節の中で生きることを実感することによる充実感があり、その感覚は読み手にも共有されているからこそ豊かな楽しさがある。
武田百合子による本作はそうした「食べ物エッセイ」として読むと少し面食らうかもしれない。そこには食事の描写はあるものの、周辺の生活も仔細に描かれる。とりわけ本作は臭い(匂いだけではない)や皮膚の動きを感じるような人間の描写が秀逸だ。
百合子は横浜に代々続く富豪・鈴木家に生まれ育った。戦後の農地改革で家が没落したのちは事務員などいくつかの職に勤め、神田の喫茶店で女給をしていた頃に夫となる文豪・武田泰淳と出会う。泰淳は晩年脳血栓症の後遺症で麻痺が残り、百合子は口述筆記で泰淳の晩年の活動を支えていた。
百合子は学生時代に同人誌や新聞の詩歌欄へ投稿を行ない、出版業への就職にも意欲を見せていたが、就職後には目立った活動はなかったようだ。彼女の文筆作品が多くの人の目に止まったきっかけとなったのは、『富士日記』(中央公論社, 1977年)である。泰淳や娘・花と生活の一拠点としていた富士の山荘での生活を備忘的に書いたもので、日誌のように記した生活の描写は泰淳に依拠したものではなく、彼女自身の感覚と文才に満ちている。泰淳の死後、『富士日記』の発表に続き、『犬が星見た―ロシア旅行』(中央公論社, 1979年)等いくつものエッセイを発表した。本稿で取り上げる『ことばの食卓』もそのうちの1冊である。
食べ物にまつわる幼少から大人になるまでの記憶を振り返ったテクストは、食べ物そのものの味覚や季節を味わうことにとどまらない。それらの描写には必ずと言っていいほど、臭いや感覚がある。しかも必ずしもいい匂いや心地の良い感覚ばかりではない。文章には言葉でフォーカスされることによって略されていた、あるいは消えてしまっていた臭いや皮膚の感覚、湿気が少なからず存在する。しかし、彼女にテクストにはそれらがむわりと立ち込めているのだ。例えば牛乳に関する幼少の記憶を述懐するテクスト「牛乳」では、幼少期に病弱を心配されて飲まされていた牛乳の描写がむっとした臭いを放っており、読み手である私たちの記憶にしまい込まれていた心地の悪さを呼び起こすようである。本書冒頭に掲載されている「枇杷」は、夫・泰淳と枇杷を食べた時のことを書いた短いテクストだが、実を剥く手に汁が落ちる様子やそんな風に枇杷を食べている夫を見ているうちに、自分が枇杷と一緒に夫の手まで食べてしまったかのような錯覚に陥る百合子の独白は短いながらも強烈な印象を残す。
また「上野の桜」では、無性に花見に出かけたくなり、百合子が上野公園に繰り出したある一日を描く。桜が満開の上野公園にあるのは、賑やかに宴会をする花見客だけではない。花見の後に無造作に捨てられた惣菜やゴミの描写、公園に鳴り響くカラオケの声は、花見という言葉が持つ風流さや優雅さというよりもむしろ群衆の煩わしさや狭苦しさ、不快感も思い出させる。そんな中、百合子はシートを広げて花見をするわけでもなく、花見敢行前に花が散ってしまうのを憂いているどこかの宴会幹事を横目に、時計と薄焼き煎餅を買って家路を急ぐ。こうして書き表すとなんだか夢の中の出来事のようだが、雑踏の臭いや騒々しさを拾い上げることで、読み手はそこに現実の(時に不快さも含めて)感覚をもまた呼び起こすのだ。野中ユリによる銅版画やコラージュの挿画も武田百合子のそうした鋭敏な世界へ誘う手助けをしている。
『ことばの食卓』は必ずしも読んでいて食欲を誘う場面ばかりではない。刺激されるのは食欲や季節への思慕よりも、むしろ食べものを契機として伸長する身体の感覚、人間の営みが放つ様々な臭いや湿度の感覚だ。そこには食事が身体の中を通っていく様子までも示唆するような命のぬめりや熱を感じさせる。本書が持つ、言葉でその感覚を拡張していくような感覚は、他の食べ物にまつわるエッセイとは異なる読書体験をもたらすだろう。
書き手:上村麻里恵