著者:打越正行 出版社:筑摩書房 出版年:2024年(初出:2019年)
12月10日夜、SNS上に流れてきたニュースに筆者は頭が真っ白になった。和光大学現代人間学部で講師を務めていた社会学者・打越正行のあまりにも早い訃報だった。急性骨髄性白血病によって45歳の若さで世を去ってしまった。打越による本書は、沖縄のヤンキーたちのコミュニティに入り、その一員に等しい存在となって行われた10年以上の調査を通じて沖縄の若者グループの社会構造や人間関係の様態を明らかにした。同著は多くの書評欄で紹介され、社会学や文化人類学研究者には驚きを持って迎え入れられた。大きな反響を得た本書は本年11月に補論を加えて文庫になったばかりであった。
打越が長い時間をかけた濃密な調査から浮き上がらせたのは、沖縄の若者間の「しーじゃ(沖縄の方言および沖縄語で「先輩」)」と「うっとぅ(沖縄の方言および沖縄語で「後輩」)」の関係によって成立する半絶対的人間関係、そしてそれを基盤とした「地元のつながり」という社会構造とそこで生きる人々の姿である。個人的な支配関係から就職や金儲けのためのコネクション、解体技能の職能の伝達に至るまで、この関係性が顔を見せている。「地元」を基盤にしたこのつながりはそのコミュニティで生きるものの絶対的な保険であり、また見えない足枷や暴力の許容装置にもなってしまっている。倫理や人権とは別の次元で成立する保証であり、暴力や理不尽さを伴う支配関係とも言える。
調査において、打越はゴーパチ(註: 国道五八号線のこと。鹿児島県と沖縄県をつなぐ幹線道路であり、打越の調査当時は夜間に暴走族の若者がバイクを走らせる場所でもあった)やヤンキーたちの集まりだけでなく、彼らやかつて若い暴走族だった男性たちが働く建設会社とその中での人間関係、さらには彼らと女性の出会いの場であるキャバクラなどの歓楽街に働く人々のコネクションに至るまで丹念に参与による調査を行った。打越はただ目の前の事象を観察するのではなく、ゴーパチでは自前のバイクに乗って走り、時には警察官の職質にあった。建設会社では打越は実際に雇用され、解体作業に従事している。仕事おわりのギャンブルでは解体現場で得た給与が丸ごと消えた。生活を共にし、互いのことを知ることで、その土地を取り巻く構造、そしてそこで息をしている人間の生き様を「巻き込まれる」ことで明らかにしている。
文字通り「ヤンキーのパシリ」としてコミュニティの内に参与する打越の姿勢とそれによって描かれた沖縄のヤンキーたちの営みの構造は、近年の社会学および文化人類学においても類を見ないアプローチであった。学者や記者として入り込みにくく、また一方通行で偏った視点に陥ることがしばしばであったヤンキーの人間関係とそのメカニズムを実地に基づくと同時に冷静に迫った。研究者とヤンキーという、対極で相入れない属性の人々という構造を忘れてしまうほどに、打越はそのコミュニティに入り込んでいる。しかし沖縄の社会構造を浮かび上がらせたのはその手法の特殊性のみならず、打越がコミュニティの心理に完全に染まり切ってしまうことなく、しかしヤンキーたちの仲間としても存在しているということを両立している点だろう。打越はヤンキーたちの「パシリ(コミュニティ内における先輩の雑用係的存在)」の座に自然に収まることで、彼らの信頼を積み重ね、仲を深めていった。しかしただ馴れ合い、その上下関係に支配されるのではなく、ヤンキーのコミュニティとして不自然でない立ち位置を確保しながらも、彼の「知りたい」「理解したい」という本分が常に存在している。コミュニティ間で起きる女性への暴力や搾取、先輩後輩の関係における制裁に対して、擁護することはないが、だからと言って目を逸らすことはない。起きたことを記録していくことの二次的な暴力性を背負いながらも明確にその問題点を客観的に指摘し、その背負ったものの責任に誠実に向き合っている。それゆえに本書はしばしば出版されてきたヤンキーや暴走族、あるいは沖縄に関する類似のエッセイやルポルタージュに終止しない、「沖縄に暮らす若者の研究」としての重厚さを持っているのだ。
その入り込んでいく姿からは「見えていない沖縄」「見えなくさせられている沖縄」が抱える痛みを余すところなく拾い上げようとする並々ならぬ覚悟がある。読んだ者は打越が積み上げた時間と人間関係の途方もない集積には畏怖すら感じるのではないだろうか。社会学の非専門家である筆者から見ても、打越正行は間違いなく今後の日本の社会学研究をより深く、一辺倒でないやり方でリードしてくれる研究者であった。この先生きてさえいれば何十、いや何百人を超える学生や市民が彼に出会っていたはずであり、そこからさらに社会学、ひいては人間のコミュニケーションにおいてたくさんの研究や研究者を育てるための種が蒔かれるはずであった。彼の死によって打越とのリアルな出会いとコミュニケーションはもはや叶わなくなってしまったのだ。悲しいことに研究者の中でも志半ばで夭折する者はしばしばいる。彼をはじめ、そうした人々や訃報のたびに全ての可能性や仕事を過去形で語ることしかできないことにこれ以上ない口惜しさを覚える。
しかしながら、気落ちばかりしているのは故人の本意ではないだろう。我が国の沖縄研究、そして社会学には精力的に調査研究を続ける多くの研究者がいる。例えば、本書で打越とともに沖縄の若者にインタヴュー調査を行い、共同研究者でもあった琉球大学の上間陽子は沖縄をフィールドに未成年の少女たちの調査と支援を継続している。上間と少女たちの記録は『裸足で逃げる』(2017年, 太田出版)等の書籍から辿ることができる。また、打越が行なってきた「参与観察」はエスノグラフィと呼ばれる研究手法の一つである。こうした社会学や文化人類学における実地調査に関しては、日本大学の石岡丈昇による『エスノグラフィ入門』(2024年, 筑摩書房)が明快にその手法と奥深さを紹介している。紙幅の関係上、数名の紹介にとどまってしまったが、上記に挙げた研究者の他にも多くの研究者がその身体ごとフィールドに入り込む並々ならぬ覚悟と深い眼差しで今日も社会を見つめ、フィールドの人々と言葉を交わしている。
役割を以て入りこみ、語りを集積するという打越の行為はその後の果てしない労苦と周囲の協力の中で日の目を浴びることが叶った。断片的で瞬間的な情報で全てを「理解した」つもりになってしまう傾向が日増しに強くなっている今日の社会において、打越をはじめとした社会学者の実践を読み継いでいくことは我々の無意識に存在する曇って狭窄した視界を広げる手助けとなるだろう。
書き手:上村麻里恵