読者から連載に対し、感想や馬との思い出などを寄せていただき、ありがとうございます。
今回は2016年1月に名寄市在住の畠山フクさん(当時・82歳)からいただいたお便りの中から「馬の思い出」を抜粋して紹介したい。
それによると畠山さんは子ども時代、下川町内の上名寄駅付近で暮らしていたが、冬になると何十頭にもなる馬が駅まで丸太を運んで来たらしい。
「テレビもない時代だから、そのにぎやかさが楽しくて見ていた」。一方で「疲れて引けなくなった馬が、叩かれる様子がかわいそうだった。人は欲と生活に追われ、馬を酷使していたのかもしれない」と振り返る。
文明が進むと馬が要らなくなる「人間の身勝手さ」にも触れており、筆者も同感である。馬は人にとって信頼し合える友・パートナー、家族である。使い捨ての道具ではあってはならない。
畠山さんは「終戦直後は今の乗用車が馬で、遠くへ行くときは汽車だった。馬の時代に戻れとは言いませんが、原点に帰ることも大切のように思います」と記している。
畠山さんの手紙を読んで感動した。連載を読んで感じるだけでなく、その思いを手書きで手紙に書いて、郵送で届けてくれた。一歩踏み込んで、思いを伝えてくださったことを深く感謝している。
筆者が馬を飼い、連載を始めたのは、馬と共に暮らした方々に当時の暮らしを振り返っていただき、馬の暮らしに憧れるこれからの世代にも関心を深めてもらい、馬を通し世代間を結び、皆さんと暮らしを見つめ直す機会としたかったからである。
今後も紙面を通じて、読者の皆さんと「馬との暮らし」を見つめ直していけたら幸いです。
<今回は2016年1月25日付名寄新聞掲載の記事を基に再構成しました>