品評会優勝、母馬悲しき別れ

 今回は下川町三の橋で農業を営む、伊東近二さん(2016年当時83歳)、朝子さん(同年当時78歳)夫婦から聞いた馬の親子の話に触れたい。
 近二さんは中頓別町出身、朝子さんは東藻琴村出身。昭和35年に下川町で結婚し、農業を営んでいる。
 下川でも昭和40年代まで、農耕や丸太の運び出しに馬が活躍。ほとんどの農家で馬が飼われていた。春に子馬が生まれ、秋には馬の共進会(品評会)が開かれた。自慢の馬を連れて、体格、毛並み、性格の良さなどを競い合った。
 昭和40年代前半、下川スキー場下の公園で開かれた共進会で、伊東さん夫婦が飼っていた母馬(ばん馬)10歳と、その子馬1歳が親子そろって優勝した。近二さんは「青毛のペルシュロン種(フランス)系で、見栄えの良い馬だった」と振り返る。
 母馬はその後3頭、生涯で6頭の子馬を生んだ。6頭目の子馬を生んで間もない日のこと。座り込んだ状態で子馬に乳を与えていた。出産の影響か、腰の骨が折れていたのだ。
 馬喰(ばくろう)は「落そう」と言い、母馬を横になった状態で、荷車の台に乗せて連れて行った。小屋に残された子馬は暴れながら鳴き、母馬も首だけ上げて鳴いた。子馬は近所に引き取られ、牛の乳で育てられた。
 朝子さんは「思い出すと涙が出る。母馬はおとなしく、素直でめんこい馬だった」と話す。
 また、近二さんは「馬と共にあった時代を振り返ると、農業も活気に満ちていた気がする」と当時を懐かしむ。

<今回は2016年4月5日付名寄新聞掲載の記事を基に再構成しました>