作家:著/スタニスワフ・レム 訳/沼野充義 出版社:早川書房 出版年:2015年
未知との遭遇。
SF小説の醍醐味を語る上で欠かせないのが、地球外生命体とのコンタクトだ。1961年に発表されて以来、現代ハードSF界に燦然と輝き続ける『ソラリス』も、この発想を核としている。
本書では、惑星ソラリスを覆う海が理性的な生命として発見され、久しく人類の研究対象とされてきた。心理学者である主人公ケルヴィンは、海の謎を解明するため、ソラリスに設置されたステーションへと派遣される。先に派遣されていた研究者達の変貌を目の当たりにし、やがて彼もまた思考する海が引き起こす不可解な現象に翻弄されていく。
本書は宇宙人との遭遇を描いた単なるエンタメ作品では全くなく、ホラー、ロマンス、哲学といった多様な様相を見せながらも高度に練り上げられた科学的考察が根底を支える重厚なハードSFだ。
核となるのは、海という理性的存在である。海は、我々が地球外生命体として一般に想像するような二足歩行のエイリアンではない。惑星を覆い、絶えず波打ち変化し続ける巨大な一つの海であり、およそ有機的な生き物とは感じられないものだ。人間にとってあまりにも異質な存在と、コンタクトを取ることは可能なのか。作品を通して読者に投げかけられるテーマである。
さて、時代背景に関して触れると、1957年のソビエト連邦によるスプートニク1号の打ち上げを皮切りに、米ソ間の宇宙開発競争は熾烈化していく。旧ポーランド領出身のレムにとって強い関心事であり、彼は本作に、宇宙を開拓せんとする人間の足掻きを執拗なまでに緻密に描きだしている。作中でケルヴィンが論じる「ソラリス学」はまさにその一部であり、ソラリス発見から様々な学者による解釈の提唱、不一致、学派の分岐に至るまで、まるで実際の学問かのように展開される。世界観の強度に直結するこの架空の学問の系譜は、読者によっては難解で敬遠されることもあるが、人間の思想を辿るという視点において非常に興味深い。
そしてそこでケルヴィンが度々話題に挙げる「人間形態主義(アントロポモルフィズム)」こそが、コンタクトというテーマに対する鍵となる。平易な日本語で表現するならば、物事を〈擬人化〉して考える思想だ。つまり、ソラリスの海が理性的存在であるならば、理性をもつ人間とコンタクト可能であると、ソラリス学者達は無前提的に判断し方法を探っている。だが実際には海は、構造も思考もあまりにも人間とかけ離れている。そもそも人間の想定している形でのコンタクトが可能かどうかという点から問われなければならない。
宇宙開発競争の時勢を体感するレムはさらに、宇宙の開拓に戦争・征服のイメージを重ね合わせる。ソラリス学者のアプローチは、観察、採取、X線の照射など、どれも海を一方的に研究対象として扱う方法だ。そして海の側からのアプローチもまた、ケルヴィン達研究者にとって全く理解できない方法でなされる。海の明白な他者性、人類との断絶は、レムの精緻な文体と相まって、絶望を感じさせながらもどこか吹っ切れた印象を与える。
ソラリス学の発展史としても物語の展開としても、その後が気になる求心力のある作品だ。
学問的記述以外にも、ケルヴィンの感じた海への恐怖や、ステーションでの人々との関係性の変化など、細やかな心情描写が複雑な魅力を織りなしている。60年以上前の作品であるにもかかわらず色褪せない完成度が、今でも多くのSFファンを惹きつける要因なのだろう。
書き手:せを