著者:ハン・ガン 出版社:河出書房新社 出版年:2023年
先日、韓国の作家ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞したというニュースが報道されました。ノーベル文学賞といえば、日本では川端康成と大江健三郎が受賞し、海外ではカズオ・イシグロや、先日『百年の孤独』が文庫化され大きな話題となったガルシア・マルケスが受賞した賞としても有名です。日本では芥川賞と同等かそれ以上に知名度のある賞であり、毎年大きな話題を呼んでいます。
しかし日本では知名度こそあれど、いわゆる難解な文学者が受賞するイメージのまま受容されているように思います。もちろんその側面は否定できません。先ほど取り上げた大江健三郎は特にそれが顕著で、普段小説を読まない人にはなかなか勧めづらいです。加えて最近では受賞者の作品が邦訳されていないことも相まって、なかなかその話題に乗れないこともあります。
しかし今回紹介する作品は、普段本を読まない人にも届いてほしい、平易な言葉で書き連ねられた、そしてもちろん邦訳がされている、祈りの物語なのです。
物語は著者自身が投影されているであろう人物が、ある作品を書き終え、ワルシャワに一時滞在し、そこで「白いもの」を羅列するところから始まります。この物語の大きな鍵は、筆者が生まれる数年前に、生まれて二時間後に亡くなってしまった姉。筆者は、姉が亡き今存在しているのと同様に、姉が元気に生まれていれば自身はなかった存在であると感じながらこれまで生きてきました。その考えはやがて彼女自身の死生観についての思索へと導きます。彼女はおくるみや、塩、雪、氷、米など「白いもの」をキーワードとし、彼女自身の記憶から身近な短い物語を取り出していきます。その物語は長くても五ページ、短いものでは一ページにも満たないもので、まるで詩集のような佇まいながら、止めどなく独立して語られてゆきます。その物語は死を連想させるものもあれば生を象徴するもの、あるいは彼女自身の生活をそのまま切り取っただけのものもあります。それら背伸びのない物語が、非常に抽象的な概念である死と生、そしてその狭間にある、曖昧ながらも確かに引かれている線を象っていきます。その小さな物語を描き続けるさなか、筆者は今は亡き姉に思いを馳せていくのです。
平易な言葉でできあがった物語一つ一つは非常に読みやすく、しかし美しい情景が徐々に浮かび上がっていきます。それを追想している間、気がつけば筆者が残した雪の跡を踏み固めるような感覚を覚えるでしょう。私はこの文学以上に、文学を読む歓びそしてその意義について考えさせられる作品に、出会ったことがありません。
前述したように、物語一つ一つは非常に簡単な言葉で語られていきます。全体でも二百ページにも満たないものですがその形式ゆえに実際は百五十ページに満たないくらい文量かと思われます。普段読書しない方にこそ読んでいただきたい作品です。
もしこの作品を読むときは、ぜひ文章一つ一つを噛みしめるように。コスパ・タイパなど、あなたを急かすなにかから遠ざけながら、曖昧で形容しがたいけれど確かに大切だったように思えるもの、そんな存在に気づかせてくれる、そんな気がする小説です。
書き手:高橋龍二