著者:岡本真帆 出版社:ナナロク社 出版年:2024年
昨今の現代短歌ブームはどこから来たのだろうか。短い文章を投稿するSNSとの相性の良さだろうか。タイムパフォーマンスを求める若い世代に、たった31文字で感情を揺さぶることのできる短歌が新しいエンタメとして受け入れられたからだろうか。理由は様々に考えられるが、私はそこに“生活”に対する意識の向上という要因を加えたい。
コロナ禍中の私たちは、いやでも自分の生活と向き合わざるを得なかった。外の人や物がそれまで見えていた景色の中からそぎ落とされ、いつまでも続いていく生活が残った。どこに誰と住むか、どんな家具や道具を使うか、何を食べるか、何時間眠るか。そのような一見些細ではあるが、実は私たちの人生に大きな意味を持つものが、コロナ禍によって鮮明に浮かび上がってきたのである。安達茉莉子『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(2022年、三輪舎)や小原晩『これが生活なのかしらん』(2023年、大和書房)をはじめ、生活を題材にした本が読書好きの注目を浴びているのもその表れかもしれない。
さて、現代短歌は生活の一瞬を切り取ることに長けている。歌人たちは強い感情だけではなく、なんでもないような出来事、されどなんだか愛おしかったり、忘れるのがもったいなかったりする出来事も、短歌という形でラッピングする。そのとき短歌集は歌人の生活史になりうるのだ。今回紹介する岡本真帆『あかるい花束』は、まさに歌人の生きる記録が短歌によって刻まれた作品集である。
岡本真帆は、現代短歌ブームを牽引する歌人の一人だ。2022年に刊行した第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)に続く第二短歌集の本書、『あかるい花束』には、2022年2月から2024年2月までの二年間に詠んだ作品266首が収録された。
収録されている短歌は、引越しや日々の暮らしにおいて感じたことを題材にしているものが多く、一通り読むと岡本の日々を追体験しているような気持ちになる。春を感じるような、また、その先に待つ夏を見据えるような、さわやかでやわらかな言葉が並んでいる。強い存在感を放ちながらも優しい雰囲気の表紙のピンク色が、本を開いたときも両端に見える。読みながら目の端に映るピンク色と、岡本の歌とが相まって読者の心もじんわり明るくなる。しかし、毎日は明るい出来事ばかりではない。岡本の短歌にもふと、さみしさが混じることがある。三首引用しよう。
わたしにも許せないもの・ことがある そうだとしても終わる夕立 (p49)
だいじょうぶ 言い続けたら少しずつ分からなくなる柔い輪郭 (p61)
本当に正しかったかわからない決断たちよ おいで、雪解け (p158)
誰しも生きていれば心がちくりとする瞬間があるだろう。湯舟に浸かっているとき、車窓の景色を眺めているとき、あるいは誰かと話している最中。そんなふとした瞬間に頭をよぎるさみしさや悲しさ、小さな後悔などを岡本は短歌に昇華させている。本書を読んでいると、岡本が二年間の間に大切な人との別れを経験したことを察することができる。引用した「だいじょうぶ」の首は、その経験から詠まれたものだと思われる。それでも岡本は、さみしさや悲しさも含んだこの短歌集を「あかるい花束」と名付けた。その包容力が岡本の魅力だと思う。
当然のことだが、本書の中で紡がれる岡本の毎日は、読者一人ひとりの毎日とは異なっている。それでも、岡本が短歌を通して向ける生活へのまなざしは、読者の生活に新しい視点を与え、日々を彩ることだろう。自分が感じたことのある感情を岡本の短歌の中に見つけるとき、やわらかい言葉やその連なりが生み出す優しい響きの効果で、たとえそれがマイナスの感情であっても優しく肯定されたような気分になる。悲しい日、嬉しい日、怒った日、楽しかった日…、でこぼこな日々が、振り返ってみるとまとめて「あかるい花束」のように見えるのかもしれない。そう思わせてくれる短歌集だ。
書き手:伊東愛奈