BOOKLAB.書籍紹介 おいしくってありがとう 味な副音声の本

著者:平野紗季子 出版社:河出書房新社 出版年:2025年

『おいしくってありがとう 味な副音声の本』は、フードエッセイスト・平野紗季子による人気ポッドキャスト『味な副音声 ~voice of food~』をもとに編まれた対談・エッセイ集だ。番組の配信200回を記念し、その中から選りすぐりの33の放送を書き起こしている。音声メディアならではの空気感ややりとりの温度が紙の上に移され、耳で聴くときとはまた違う、言葉の細部まで味わえる一冊だ。

本書の大きな魅力の一つは、各回を彩るゲストの面々。稲田俊輔、渡辺康啓、田辺智加、長濱ねる、吉岡里帆、平野レミといった、ジャンルも世代も異なる人物が並ぶ。彼らは日頃の活動の場は違えど、みな食に対して並々ならぬ情熱を抱いている。その熱量が、単なる「おいしいものの話」にとどまらず、食をめぐる多様な視点と物語を立ち上げている。
たとえば「ビーフジャワカレーは外食産業界のオーパーツ」と題された回では、インド料理の名店エリックサウスで総料理長を務める稲田俊輔が登場する。この回の前半で語られるのは、ファミリーレストラン・ロイヤルホストの人気メニュー、ビーフジャワカレーのこと。カレー専門家としての知識と、チェーン店という舞台設定が交差する会話は、エリックサウスのファンにとっても、ロイヤルホスト愛好者にとっても興味深い内容だ。
また、三つ星レストラン「レフェルヴェソンス」のシェフ、生江史伸との回では、食の「持続可能性」がテーマになる。環境や社会を見据えながらも、「おいしい」を追求する姿勢がぶれない。そこには、食を取り巻く課題を正面から見つめつつ、喜びを生む力としての「おいしさ」を信じる、平野とゲスト双方の信念が感じられる。

さらに本書では、取り上げられる食べ物の幅広さも大きな魅力のひとつだ。モスバーガーやロイヤルホストのような誰もが親しみやすいチェーン店のメニューが登場するかと思えば、全国からファンが集まる行列スイーツや高級レストランの話題にも飛び込む。その振れ幅が、読者の記憶や嗜好の引き出しを次々と開けていく。身近な味から憧れの味まで、食の世界を縦横無尽に行き来する構成は、ページをめくるたび新しい“おいしい”に出会える感覚を生む。
平野の文章は、味覚だけでなく言葉の感覚そのものが豊かだ。目次を眺めるだけで、「あんこは限りなく液体に近い固体」「バターは塗るものではなく齧るもの」「ミルフィーユを綺麗に食べられないことをとやかく言う奴とは付き合うな」といった、思わず口に出して言いたくなるようなフレーズが飛び込んでくる。こうした言葉は、単なるキャッチーさにとどまらず、その背後にある食経験や価値観を鮮やかに切り取っている。語り口は食べ物への愛情にあふれつつも、時に辛辣で、どこか挑発的ですらある。甘やかすだけでなく、食を語るうえで必要な芯の強さがあるのだ。その姿勢は、食通で知られる森茉莉のエッセイ「貧乏サヴァラン」をどことなく彷彿とさせる。

平野は「食」を通して文化、歴史、個人の記憶が交わる場までも見ている。一方そういった小難しさを、すべて「おいしいものが好き」という巨大な原動力で包み込んでいる。おいしいものが食べたいという多くの人に共感されるであろう欲求に乗せて、平野のポップでおいしい「味な」言葉はたくさんの人に届いていくだろう。

書き手:伊東愛奈

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