BOOKLAB.書籍紹介 エピタフ 幻の島、ユルリ島の光跡

著者:岡田敦(文、写真)、星野智之(構成) 出版社:インプレス 出版年:2023年

 ユルリ島という島がある。根室市落石の昆布盛沖に浮かんでいる無人島だ。かつては人が住まい、昆布漁を生業に生活を営んでいた。昆布を陸地の崖上の干場へ引き上げる労働力として島には馬も連れてこられた。しかしまもなく港の整備によって島に居住する必要性がなくなり、島民は北海道の本島に引き上げていった。現在島には半野生化した馬、そして絶滅危惧種の海鳥であるエトピリカやケイマフリが生息している。貴重な生態系を保護する目的で島への人の上陸は禁じられており、馬と鳥をはじめとする無人の「楽園」が形成されている。

 本書の著者である岡田敦は写真家である。作中の写真は全て岡田がユルリ島に上陸して撮影したものだ。根室市役所との2年にわたる交渉の末に特別に上陸を許された岡田は、ユルリの馬たちが生きる姿はもちろんのこと、この島に人的な要因で渡ってきた馬と島の歴史を紐解くべく、元島民や根室周辺に暮らす人々を取材し続けた。自身の個展にきた知人に紹介されたことがきっかけでユルリ島を知ったのが2009年、それから役所での上陸交渉、リサーチを含めて岡田がユルリ島に通い、関わり続けてきた10年以上の軌跡が詰まっている。

 岡田の撮る馬は彼の代表作『世界(2012, 赤々舎)』などに見られるような、肌や空気などの質感を露わにし、その温度をラディカルに伝播させるような作風と相まって、馬の体毛や皮膚の下の筋肉のしなやかさ、冷たく湿った霧を眼前に見事に表し、静かだが確かに息づく馬の生きている島を眼前に立ち上がらせている。深い霧の中を颯爽と走り、しっとりとした草を食む馬の姿と濃いグレーの空や青々と生い茂る霧深い無人島の風景から広さと寂しさを感じた時、この世のものとは思えない美しさを覚えるだろう。

 また、かつてユルリ島に暮らしていた人々の証言や、牧場主への取材から見えてくる馬産業の現在地、国後島に生息する馬へのアプローチなど、道東の人と馬との関わりを紐解くための資料としても本書は非常に興味深い。岡田はリサーチを振り返る中で繰り返し、ユルリの馬がやがて消えゆくことを強調し、そしてユルリの馬の消失は根室の歴史自体の喪失でもあると述べている。ユルリ島にかつて暮らしていた住民の思い出話を語る顔つきや当時と現在の馬産業の大きなギャップを拾い上げていく様子は馬を起点にして始まる根室の歴史の採集と言えよう。馬産業や昆布漁に関わり続ける人々の回顧は書き起こされることによってより明瞭な記憶の明示となり、得難い歴史への足跡となる。前述したように、霧の中を歩く馬の姿には幻想を見ているかの感動を見出さずにはいられない。しかし岡田の著作が示したのは「無人島に生きる馬」という稀有な存在の美しさだけではない。ユルリの霧と馬の姿に少しでも魅入られたのであればその先に待っているのは、歴史と責任を内包した問題を共に考えることでもあるのだろう。

 自然に対し、多くの場合「人工」という言葉がその対義語に挙げられる。人の作ったものは、本来自然にないものである、自然の道理に反しているという事象はいくつも思いつくだろう。
しかしまた人、そしてその営みも巨視的に見れば「自然」の営みの一つであると言えるのかもしれない。これに関しては腑に落ちない部分や、用い方によっては議論として成立しなくなることもあるため注意が必要であるが、一側面を見事に言い当てているのではないか。また形を変えてこうした問題は各地に起こっており、愛媛県の青島―「猫の島」の通称の方が思い当たる方は多いだろう―の増えすぎた猫と高齢化や移住による島民の減少の問題も事情が異なっているとはいえ、種の異なる人間と家畜との一筋縄ではいかない関係と問題が浮き彫りとなっている。視覚的な魅力を持つ風景や営みには、生命がそこにあるが故に歴史と責任の問題が伴う。生命の営みは歴史でもあり、語られる歴史なくして責任は可視化されない。

 ユルリ島の神秘のような美しさは人間が発展と社会構造の因果により作り出した風景でもある。幻想の中に一歩踏み込めばそこには人間の痕跡が確かに存在している。岡田の撮影したユルリが見せてくれるのは、人の歴史の残滓へとつながるための手がかりと、その儚い歴史を刻む生きた墓碑(epitaph)としての馬の生命である…と考えるのはあまりにも身勝手だろうか。岡田が目の当たりにし、写真とテクストを通じて表したユルリ島の姿は、そして全て人の営みの成果であり、さらに巨視的に見れば人間の歴史を生態系活動の一部として捉えれば、自然の営みの結果でもある。そこに生まれてしまった責任に対し、我々はどんな立場からユルリの馬を見つめるだろうか。息をのむ美しい風景は表層的な「楽園」などを超え、血の通った歴史の軌跡としていくつもの語りを展開するだろう。

参照:
「根室・落石地区と幻の島ユルリを考える会」によるユルリ島のHP | https://www.yururiisland.jp
写真家 岡田敦|Okada Atsushi|Photographer HP
http://okadaatsushi.com
(webサイトの最終閲覧日はいずれも2024/10/03)

書き手:上村麻里恵

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