BOOKLAB.書籍紹介 人はなぜ「美しい」がわかるのか

著者:橋本治 出版年:2002年 出版社:筑摩書房

 美術作品を前に、作者やタイトル、そして作品の説明などの情報をなにも与えられず、「自由に鑑賞してください」と言われて、本当に自由に鑑賞できる人はどれほどいるだろう。なにかを感じ取ったとしても、それが“正しい”見方なのか、ほかの人はどう思っているのか、気になってそわそわしてしまう人のほうが多いかもしれない。数年前に日本で個展を開いたとある海外の現代アーティストは、日本人は作品を自分の解釈で見ることが苦手だと評した。わかりやすい説明、“正しい”解釈の仕方を自分の外に求めてしまい、自分で内で考えることを放棄してしまうということだろう。子供のころ図工の授業で工作をするのは楽しかったのに、鑑賞となると戸惑いを覚えた経験がある人なら、このアーティストの意見にうなずくところがあるかもしれない。美術に限らず、ものの見方に正解があるような気がしてそれに囚われている、そんな「正解探し」に疲れた人はぜひ本書を手にとってみてほしい。

 とはいえ、本書を読んでも作品の鑑賞が得意になるわけではない。むしろ本書が扱う「美しい」は芸術ではなく、夕焼けや花などの日常生活に溢れているものだ。また、近年は脳科学や心理学の分野から人が「美しさ」を感じるメカニズムを解明する研究なども行われているが、そういう内容でもない。「美しさ」とはこういうものだ、と定義を与えてくれるものでもない。「美しさ」は他者が決めるものではないという考えが本書の底に流れているからだ。決められた美しさはなくても、人には各々「美しい」と感じるものや出来事がある。そこに合理的な説明が付けられなくても、「美しいと感じた」という事自体は事実として確かに存在している。その事実について筆者が自分の体験と結びつけながら論じた結果生まれた、ひとつの人生論が本書である。
 筆者の橋本治(1948-2019)は、小説やエッセイに加え、浄瑠璃などの古典芸能の新作制作など、多彩な執筆活動で知られる人物だ。美術史家でも美学者でもないが、豊かな感受性で世に文章を送り出してきた橋本は「美しい」が強くわかる側の人間だったに違いない。夕焼け、台風、水仙の芽。子どものころから感じてきたさまざまな「美しい」を、古典文学や人間関係の話を巻き込みながらひも解いていくかたちで本文が進む。その解き方は決してするするといくものではなく難解だ。わかりやすい定義を与えたかと思えばすぐにそれを否定し、一般論を持ち出したかと思えば、個人的な記憶へと沈み込んでいく。わかりやすいとは言えないが、だからこそ「美しい」という個人的、主観的な体験が持つ捉え難さを読者は追体験できる。
 そんな複雑ではっきりとした答えを提示することのない本書の全貌を紹介するのは難しいが、橋本が考える「美しい」論の核をひとつ紹介したい。人は本来、自分との利害関係のなかで物事を考える生き物だ。自分にとって役に立つか、意味があるか。その基準によって世界を解釈し、利でも害でもないものは意識の外へ追いやって「存在しているけれど、存在しないもの」になる。橋本は、その利害の枠からこぼれ落ちた「存在しないもの」がふと視界や耳に入ってきたときに、人は「美しい」がわかるのだと述べる。そのきっかけとなるのは、「自分にはなにかが欠けていて、それを埋めたい」という感覚だ。自分の置かれた環境、特に人間関係に満足せず、その外へと目を向けることによって、「美しい」を発見することができるのである。
 つまり、「美しい」について考えることは、自分と世界の関わり方を考えること。世界の外へと目を向けて見つけたものを、自分の内で育てていくことだと言えるだろう。それまで見えていなかったもの全てに「美しい」の可能性があり、それを拾い上げるかどうかはその人自身の手のみに委ねられている。SNSを見れば他人の意見が無秩序に溢れ、他者との同調、”正解”の選択に振り回されがちな現代において、本書は自分の外の世界と内の世界、両方とどう向き合っていくべきかを考えさせる良書だと思う。

書き手:伊東愛奈

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