BOOKLAB.書籍紹介 夏葉社日記(なつはしゃにっき)

著者:秋峰善(しゅうぽんそん) 出版社:秋月圓(しゅうげつえん) 出版年:2024年

 『夏葉社日記』はある一人の青年の書いた日記を単行本化した作品である。ブログやwebマガジンの投稿サイト「note」に綴られたものが元になっている。本書の経緯は以下のようになる。書き手の秋峰善氏は出版社に勤めていたが、思うような成果を出すことが叶わずに疲弊してしまう。やっとの思いで転職した2社目の出版社でも状況は好転せず3ヶ月で退職してしまった。その時に彼はある1冊の本『本を贈る』(若松英輔, 島田潤一郎ほか, 三輪舎, 2018年)から島田潤一郎氏、そして彼が立ち上げた出版社・夏葉社に出会う。島田氏は秋自身が本当に作りたかった、携わりたかった本作りを体現していたのである。惚れ込んだ彼は自らの再起の手がかりを掴むべく、島田氏に宛て、会って話がしてみたいのだと連絡を送るが、そこで思いがけず島田氏から期間限定で社員として働いてみるのはどうかと提案される。『夏葉社日記』は彼が3ヶ月夏葉社で過ごした日々と彼自身が本の魅力を伝える仕事へと再び歩み出す日々が綴られている。

 ところで、夏葉社という出版社は島田氏がほとんど一人で切り盛りしている「ひとり出版社」だ。その特色は社員が一人だけということではなく、「具体的なひとりの読者 」に向けて本を作るという姿勢にあるだろう。何本もの企画の立案や、会議等を通じて実際に本にするかどうかを決め、大勢の社員と書き手によって毎月読みきれないような分量の本が新たに世に出る―といった大手出版社の業態とは大きく異なっている。瞬間的に多くの人が手に取る本、誰が読んでもある程度の面白さが担保される本―そういった書籍が人々の娯楽を支えているのは事実であり、それらを否定しているわけではない。その上で夏葉社が担っているのは今すぐ多くの人が必要としていることよりも確実に誰かの手に届き、ずっと読み継がれるような本を作ることだ。そのラインナップは国内では忘れられてしまっていたり、まだ十分に紹介されていなかったりする海外文芸の翻訳、老舗古書店の店主が綴ったエッセイ、日本の準古典の復刊などだ。「いますぐ売れる」「今役に立つ」「誰でも好きな」本というよりも、島田氏が掛け値なしに面白いと思った本や、深い知識を持ってその分野に携わっている人がじっくりと編集やセレクトを行った本が多いように思われる。そうした本は少しばかりニッチで、敷居が高いかもしれない。だが、そんな熱意やこだわりが詰まった本は全国の個人書店やセレクト系の書店に置かれ、人と本とのかけがえのない出会いを確実に作り出している。

 秋氏もそんな島田氏の編み上げた本によってまたとない出会いを果たした人間の一人だと言える。そして特筆すべきはその本との出会いが一人の行動、そして彼の心と意思を再び潤したというところだ。この日記を読めば秋氏が思いやりに溢れ、とてもまっすぐな人物であることがわかる。一人の青年が再び「編集者」として立ち上がるための日々を刻んだ、優しくて情熱的な日記であるが、同時に島田氏への最大の感謝がこもった手紙でもある。彼と夏葉社との日々は、側から見れば恋をした人のような勇気と必死さによって作られる熱意に満ちており、こちらがため息をつくほどに眩い。

 本書はいわゆる本屋さんの記録でもある。秋氏や島田氏は本を作る人でもあるが、本を売る人でもある。作中では出張で何軒もの書店に足を運ぶ二人の姿がある。本書で登場するのは大阪や名古屋の書店であるが、そこからも本を作る人と売る人の確かな知識とできる限り本を手渡し続けたいという熱と願いが伝わってくる。残念なことであるが彼らが訪れた書店の中には今では閉店してしまったものも少なくない。そのことに途方もない寂しさを感じるが、一方でその歴史を絶やすことがあってはならないと奮闘する姿もそこには存在する。夏葉社での経験を通じて秋氏は期間限定のイベント「10冊本屋」の開催、そして本書の出版元でもある「秋月圓」の立ち上げを行った。秋氏は編集者としての再起だけでなく本を作り、つなげるという一歩へも歩み出しているのである。

 この記録や経歴は秋氏の個人的な出来事であるが、秋氏が現実にしたこの営みが島田氏のいう「具体的なひとりの読者」として他者を支える道標になったということでもあるのだろう。秋氏もまたこの先、誰かへとつながる本を手渡し続けていくのだろうか。小さな、しかし明朗なこの本と人とのつながりの火が残り続けることを願ってやまない。

書き手:上村麻里恵

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