BOOKLAB.書籍紹介 奇病庭園

作家:川野芽生 出版社:文藝春秋 出版年:2023年

奇病庭園。それは人間に角や爪、鱗あるいは羽など様々なものが再び生える奇病の蔓延する世界だ。奇病にかかる人々は、どのように変化していくのか。
本書は著者・川野芽生氏初となる長編幻想小説であり、詩人としても活躍する氏の文雅で卓越した言語表現が光る作品である。頭に角が生えた老人や長大に鉤爪の伸びた〈世捨て人〉、胎児の成長とともに翼が育つ妊婦、毛皮に覆われる騎士など、作中にはバリエーション豊かな人々が登場する。 章立ては四部構成、三十を超える掌編からなり、それぞれの物語は断片的ながらも複雑な織物のように絡み合い関連していく。短編集としての面白みもありつつ、最後まで読了すれば長編小説としての展開の鮮やかさに目を奪われる、珠玉の一冊だ。
さて、この作品の最も興味深く精緻なアイデアは何といってもタイトル通り「奇病」である。普通奇病と言うと、角や鱗や羽が “生える”ことを思い浮かべるだろう。本書はそうではない。

奇病が流行った。ある者は角を失くし、ある者は翼を失くし、ある者は鉤爪を失くし、ある者は尾を失くし、ある者は鱗を失くし、ある者は毛皮を失くし、ある者は魂を失くした。(『奇病庭園』序,p3)

元々はそれらを持っていた者たちが奇病によって失くし、長い年月を経たことで失くした状態が普通であるとされるようになる。そして再びそれらを備えた者が現れたことから物語は始まるのだ。本書を十全に楽しむにおいて、この前提がたいへん重要である。
種々の奇病は、一見すると私達読者には奇想天外で異世界的な話に思われるが、読み進めていくと実は何より私達の現実を鏡写しに表していることが分かる。特異な部位を持つようになった “普通ではない人”の変化は、外見だけでなく感情や心情においても生じる。  “普通 ”から解放されたことによる変化だ。そこには同時に、彼らに対する常人達の怯えや侮蔑も記述される。美醜や規律的な枠組みに囚われ他者を排斥するという心のあり方の醜悪さが、対照的に浮かび上がってくるのだ。私達の現実でも強固な意識であるルッキズムに向けて、ここで痛烈な批判が加えられている。
掌編として綴られる内容が多い中で、「翼に就いてⅡ」は三部として単独で章立てされた中編ほどの長さだ。他の物語は奇病の人々を中心とするが、本章は教団で生活する少女と幼馴染の少年、麗しい青年にフォーカスが当てられる。この世界の中で“普通”あるいは“模範的”とされる価値観やそれに対する違和感が紹介される内容であり、作品全体からすると異質でありつつもそれが強いアクセントとなっている。読者にとってある種他人事だった奇病という現象が、この話をきっかけに私達の現実へと紐づけられる。
また、この三部を経て、それまで断片的だった世界が緻密に繋ぎ合わされその全貌が開示されるという構成的美しさも相まって、読了後は強い印象を与えられる。
幻想小説というジャンルに分類される本書だが、ただ気を衒った文章ではない。ぜひその衝撃を目の当たりにしていただきたい。

書き手:せを

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