BOOKLAB.書籍紹介 平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版

著者:宮崎智之 出版社:筑摩書房 出版年:2024年

 主観的にしろ客観的にしろ、誰しも弱さを抱えて生きている。そのことを否定するのは難しいのではないか。では、その弱さを「弱い」という価値のまま過ごすことのできる人はどれくらいいるのだろうか。文筆評論家でエッセイストの宮崎は自身の弱さに向き合うようなエッセイを記した。優しさの表裏や、朝顔を育てなかった夏のこと、おならの上手な仕方について真剣に頭を悩ませ、細マッチョを追求する日々…日常と書や和歌の絡み合いが軽妙で時にユーモラスだが、その間に差し込まれるのはアルコール依存症と離婚、蓄膿症と鼻中隔湾曲症のぼんやりとした長い苦しみとその治療、父の死、コロナ渦中の妻の出産といった出来事がこれまでの生涯を回想しながら描かれる。その中で繰り返されるのは自身の内包する弱さへの対峙と弱いまま生きることに関する思慮である。

信念を持っても貫きとおすことができない。理性や知性で判断しても失敗する。すぐ間違う。そして、それを繰り返す。少なくとも僕は、自分が「強いやつ」だとは、どうしても思えないのである。(212頁)

 弱さを曝け出すことは語り手だけでなく、時に読み手の羞恥も誘うものだ。しかし弱さに関する宮崎の語りが自己陶酔的なものではない。小説家やエッセイストによる作品、そして挙げきれないほどの映画や漫画、和歌、バンドミュージックがその苦しみの軌跡についての鏡になっている。その上で宮崎は今やもう訪ねることのできない自身の思い出に出てくる人々の言葉と心を想像していく。自身を守るために殻の中に閉じこもるような形ばかりの弱さの露出ではなく、言い訳や過ちをすべて「弱いもの」として受け入れ記述することで進もうとしているからなのかもしれない。それを可能にするのは弛まぬまま継続されるフラットな宮崎の想像の試みと名著の言葉の並走であり、自身の弱さに関する語りは人々の記憶と言葉によって開かれていく。

 宮崎の弱さを暴く語りはアルコール依存症の相剋や少年期から続いていたひどい鼻腔の異常、家族の死、コロナ禍の無力感といったイベントからやがて時間に関するものへと収束していく。増補新版に追加された「補章 川下への眼」は初版発表から3年後の文章である。補遺の段階で宮崎には第二子が誕生し、アルコールを完全に経って8年が経っている。誰かの人生に関わりながら生き、そして緩やかに死に向かう存在としての私たちが果てしない時間の中に身を委ねていく感覚が弱さ、寂しさ、当て所のなさとともに描かれる。それでも、自分ができることは何かを問い続け、子どもという他者の人生の時間の中で起きる変化と変わらないものの瞬きを愛おしむ姿がそこにはある。「平熱のまま、この世界に熱狂したい」という言葉が宮崎の中で未だ取り組まれていることは明らかだ。あるのが当たり前だと思っていたものが失われることによって気づかされる弱さ、覆い隠そうと躍起になるような弱さ、すでに私たちは孤独と衰退のうちにあるという前提としての弱さ―それらに対する宮崎の姿勢は立場や物理的な強さを失いつつある(あるいはすでに失っている)状態の人々への視座をもたらすだろう。

書き手:上村麻里恵

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