作家(翻訳者等含む):著/ギョルゲ・ササルマン 訳/住谷春也 出版社:東京創元社 出版年:2023年
幼い頃、架空の地図を描いていた。
宝探しの地図や、見知らぬ街の地図を描いて、あたかも体験した気になるのが大層面白かったからだ。
本書は、一度でもそんな経験がある人には垂涎の書である。
ルーマニア出身、建築学校を卒業し建築・都市計画に関するライターであった著者が、空想の都市を36の掌編に落とし込んだ。
架空都市の代表であるアトランティスはもちろん、実在の古代都市や神話に由来をもつ都市、宇宙船を都市に見立てるSF的着想、はたまた文学らしい幻想建築など、そのアイデアは驚くことに全てが全て異彩を放っている。著者の広範かつ深長な知識をベースに、様々な都市とそこに住まう人々の営みが展開される。思考実験的な作品も少なくなく、衝撃の礫を浴びたかのような読後感に襲われることだろう。
掌編のタイトルが都市の名前であり、各作品はその名前と横に描かれたグラフィック・シンボルから始まる。都市の外観やイメージを直感的に表現した幾何学的デザインだ。親切なことに、邦訳ではその市を表す熟語も添えられている。その都市がどんな特異性を持っているのか、あるいはどんな運命を辿るのか。都市名の言語的由来と共に、読者の想像をより鮮明にする一助となっている。
1人の人間が都市を冒険するような主観的物語もあれば、そこに住む何世代もの住民の行く末を観察するエッセイテイストの作品もある。しかしどの作品にも、次のような観念が息づいている。それは、都市とは人々がつくるものということだ。そしてつくられた都市の中で生きることによって、人の枠組みが形成される。無限に続く数列のように、都市と人々の相互的で有機的な影響が響き合う。専門的視野を持つササルマンの哲学が、ここには色濃く根付いている。
本書は、完全版の出版に至るまで数奇な経緯を辿った点でも特徴的だ。本書出版のきっかけとなった作品「ムセーウム(学芸市)」が紙面に掲載されたのが1969年。捏造ではあるにしろ、都市を扱う上で、国家や国民性、政治の話題を引き合いに出さないわけにはいかない。その頃のルーマニアでは、文化革命が起こり社会主義思想が席巻していたのだ。ササルマンのいくつかの掌編は検閲の憂き目にあい、1971年に原稿が完成してから完全版の出版まで、長く日陰の存在であった。
それでもササルマンの才は方々で認められていたし、多くの人がその翻訳に奔走した。その感動も一入だったのか、文庫では解説以外にも複数のまえがきやあとがきが寄せられている。これほど関係者の言葉が手厚いと、一読者としてはたいへんありがたい。また、掌編の中には難解なものや実験的なものもあるので、是非に解説したい、補助線を引きたいというライター達の心情も僭越ながら共感できた。作品を読んだ後に資料を見ると、彼らと意見交換のマラソンをしているような気分になる。
ぜひ、ササルマンの描く都市に、そしてその奥底に横たわる不可思議な思考の海に飛び込んで、思う存分冒険してみてほしい。
書き手:せを