BOOKLAB.書籍紹介 石狩少女

著者:森田たま 出版社:筑摩書房(初刊行は実業之日本社) 出版年:2024年(発表は1940年)

 昨今、作家の再発見や再評価による作品の出版や復刊が盛んである。とりわけここ数ヶ月の筑摩書房のレーベル・ちくま文庫における女性作家による作品の再出版には私個人、目を見張るものがある。野溝七生子や佐久間文子、森崎和恵…彼女たちと共に少女文学の名作として長らく入手困難であった森田たまの本作品『石狩少女(註:少女はおとめのルビあり)』も装いを新たに書店に並ぶこととなった。
 本書は作家・随筆家であり晩年は参議院議員の職にも就いた女性・森田たま(1894-1970)の小説であるが、札幌育ちの彼女の自伝的要素を多分に含んでいる。主人公の野村悠紀子は明治末期の札幌にある裕福な家の次女として生まれた文学を愛する女学生だ。札幌(物語後半では秋田)の無骨だが美しい景色の中、家族や友人、親類との人間関係や種々の出来事を通じて彼女の心の内が描かれる。その心情や思考は実に強かで、かつ千変万化する儚さを持ち合わせている。周囲の些細な言葉や環境の変化を機敏に感じ取り、いかなる時も思いや考えを包み隠すことなく伝える。それによって少女は時に傷つき、時に勇気づけられることでその信念は磨かれていく。札幌や秋田の町の厳しく、しかし優美な山や河川、花々といった自然はしばしば悠紀子、そして悠紀子越しに描かれる森田たま自身が望む孤高で可憐な強さが表されているかのようだ。
 同作はこの時代における女性観が色濃く反映されている。当時女性は男の生活を支える、まさに「三歩後ろ」を歩く存在として見なされていた女性が男と同様に文学を愛好し、創作活動に勤しむ姿は必ずしも褒められたものではなかった。伝統的な女性価値を重んじる母、姉と悠紀子は度々衝突し、知人男性らの言葉に「女性らしさ」という鋳型と定規で物事を語ろうとする気配を敏感に感じ取って反抗する。何より彼女の燻りや情熱は誰の心にも思い浮かんだことのある状況への反骨と孤独に生きることの決意が色濃く、明治から随分経った今の私たちの心にもすんなりと響くのである。
 ところで、本書に付いた帯には「本読む少女は生きづらい」という煽り文句が書かれている。しかしながらそれに対して思うのは、彼女の生きづらさをこちらが形容してしまうことこそ彼女を鋳型に嵌め込んでしまっているのではないかという疑念である。先述した通り、旧時代的な女性観は間違いなく彼女の障壁になっていただろう。しかし、生きづらいという鬱屈すら彼女は血肉と知恵にしてまっすぐな瞳で歩き続けている。ただし、それは彼女が全てを薙ぎ倒し、いかなる悲しみも感じない女傑であるということを言いたいのではない。むしろ彼女の強さは脆さや涙、感傷も併せ持っているところである。「生きづらい」と嘆いて何かが変わるのを待つのではない。その障壁の何が疎ましいのかを伝えることに臆することがなく、そしてどう生きたいのかを幾度となく考え続ける。彼女が物事に対して受ける豊かな感受性とそれを言葉で表する強かな生き様は、生きづらさにしばしば内包される敏感さやそれによる鬱屈だけでなく、芯の強さや聡明さ、そして勇気もまた内包されるべきではないかと思わずにはいられない。

書き手:上村麻里恵

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