著者:いとうせいこう 出版社:河出書房新社 出版年:2026年(単行本版:2021年)
2026年で、東日本大震災から十五年が経った。福島県出身の私にとって、春休みに帰省するたびに目に入るのは、震災を特集するテレビ番組の番組表や、新聞に掲載された数々の体験談である。遺族の悲しみや、原発事故によって故郷に帰れなくなった人々の苦しみは、年月が経ったからといって終わるものではない。
震災について語られるとき、「風化させない」「忘れない」という言葉がよく使われる。しかし、私たちは災害の記憶から何を受け取るべきなのだろうか。もちろん、災害の恐ろしさを知ることは重要である。恐れを知り、備えを怠らないよう日頃から意識することは、誰にとっても必要なことだ。だが、災害の記憶に触れることには、もうひとつ別の意味があるのではないか。本書は、その可能性を示している。
著者のいとうせいこうは、震災を受けて2015年に小説『想像ラジオ』を発表した。一人の青年がラジオのパーソナリティとなり、死者と生者の境界から語り続けるという設定の作品である。その後も著者は何度も東北へ足を運び、被災した人々の声を聞き、記録する取り組みを続けてきた。本書『福島モノローグ』は、そのインタビューの積み重ねから生まれた一冊である。
本書には、福島にゆかりのある七人の語りが収められている。原発事故によって行き場を失った家畜を保護する人、避難所の中でラジオ局を立ち上げた人、被災地で子どもを産み育てた母親たち―それぞれ異なる立場から、震災とその後の生活が語られていく。
タイトルに「モノローグ」とある通り、本書では聞き手である著者の質問や相槌などの発言はすべて取り払われている。読者の前に現れるのは、語り手の言葉だけだ。さらに、語り手の年齢や性別、生い立ちや現在の立場などの詳細なプロフィールがはじめに明示されるわけでもなく、また、福島県外の人にはわかりにくいであろう地名などについても注釈はほとんどない。本当にそのまま、語り手の言葉を文字に起こしたような印象を受ける。文章としては多少わかりにくいところのあるこの構成は、本書が小説ではなく「語り」であることを強く感じさせる。断片的に示される情報を手がかりに語り手の姿を想像していくとき、震災という巨大な出来事が、ひとりの人間の経験として読者の前に現れてくるのだ。
一方で、本書は単なる文字起こしではない。語りの行間からは、著者が何度も語り手のもとを訪れ、関係を築きながら言葉を引き出していった過程が想像される。本書の文章は語り手の言葉であると同時に、それを引き出し文字にした書き手の技量の成果でもある。
さて本書を読んであらためて感じるのは、被災者にも、復興に関わる人々にも、実にさまざまな立場や考え方があるということだ。避難した人としなかった人。放射線への向き合い方も、人によってまったく異なる。それでも、語り手の大部分に共通しているのは、震災という経験から何かを生み出そうとしている点だ。悲しい出来事としてだけで終わらせたくないという思いが、根底に流れているように思われる。本書が示しているのは、三月十一日という出来事の「その後」を、人々がどのように生きてきたのかという道のりだ。言うまでもなく、生きていなければ何も語ることはできない。突然の絶望のあとに与えられた「生」を、これからどう生きていくのか。その姿勢のあり方を、本書は静かに問いかけてくる。十五年が経った現在、日本ではその後も大きな地震が続いている。北海道、熊本、能登半島。世界に目を向けても、多くの人の命が失われる出来事は起こり続けている。そしてこれからも、残念ながら災害は起きてしまうだろう。そのとき、残った人間はどのように生きていくべきか。本書が提示しているのは、東日本大震災という枠を越えて、暗い出来事の後を生きる私たちすべてに向けられた問いとその無数の答えなのではないだろうか。そしてその答えを自分自身で考えるためにも、我々は過去の悲劇を忘れずに、さまざまな人の「声」に耳を傾け続ける必要があるのだろう。
書き手:伊東愛奈

