著者:著/松岡正剛、写真/太田真三 出版社:KADOKAWA 出版年:2022年
松岡正剛とは何者か、説明するのは難しい。伝説的マガジン『遊』の創刊者であり、日本文化論を中心に多数の著作を発表している。あえて肩書きを書き連ねるなら、編集者、編集工学者、ミュージアム館長、文筆家、批評家、俳人、などなど。知識人や文化人と呼ぶこともできるのだろう。しかし、こういった肩書きによって松岡という人物を安易に括ることはできない。膨大な知識をただ単に持っているだけでなく、その知識と知識を繋ぐことを繰り返して新しいものを創り出す人物だからだ。
どういうことか、代表作のひとつ『フラジャイル 弱さからの出発』(1995年、筑摩書房)を読むとよくわかる。消極的な意味で使われることの多い「弱さ」という言葉。しかしその弱さにこそ惹かれることがあるのはなぜか、と松岡は問う。そしてあらゆる観点から「弱さ」と向き合う。神話、歴史、伝統芸能、哲学、医療、アート。様々な分野を縦横無尽に歩き回り、それでいて、「弱さ」を軸にして体系立ったひとつの論説を紡いでいく手腕に圧倒される。「編集」の極みのような書籍だ。一方で、このような著作は多様な話題を扱うために、読み手の負担が大きくなるという弱みも持つ。読み手側にも幅広い知識が求められるかのように感じられ、敬遠されてしまうこともあるだろう。そこを乗り越え、より多くの人に松岡の魅力を知ってもらえないものか。そこで、松岡正剛入門にぴったりな一冊として、より気軽に読むことのできる『見立て日本』を推薦したい。
『見立て日本』では、日本文化における120の重要キーワードが紹介される。文庫本の形式を取っているが、見開き1ページごとに、写真と文章が交互に掲載されるという面白い構成だ。詳しく説明してみよう。
まず写真家・太田真三が撮影した日本の実景写真が、キーワードとともに見開きのページいっぱいに現れる。たとえば「祝詞」というキーワードのページを見ると、坊主頭の少年の後ろ姿が大きく写し出されている。少年はバンカラ風の衣装を纏い、左手を腰にあて、右手を掲げている。目線の先には緑色のフェンスとグラウンド。選手の姿は写っていないものの、これらの情報から少年は野球の応援団員であることが推察される。祝詞と聞いて一般的にイメージされるのは、神社などで執り行われる神事や祭礼の際に唱えられる言葉だろう。しかし松岡は、神主や巫女ではなく、応援団の少年の写真を合わせた。両者に一体どんな関係があるのだろうか。そこで次のページをめくる。
見開き一ページの中に、見出し、キーワードの解説本文、写真の説明がある。「祝詞」のページの場合、見出しは「言霊連打の応援力」だ。なるほど、言葉には魂が宿るとよくいうが、祝詞においてもスポーツの応援においてもそれは同じということだ。どのキーワードにおいても、見出しが魅力的で、写真との距離をぐっと縮めてくれる。更に本文では、プロ野球をはじめ多くのスポーツチームが神社で必勝祈願の祝詞を挙げてもらっていることが明かされる。祝詞には決まり文句や型があり、そこにさまざまな願いを当てはめることで、神の力にあやかろうとするのだ。考えてみると、ここぞというときに決まり文句や型を使うのは祝詞に限ったことではない。我々は意識していなくても、歴史ある言葉に宿った力に頼っているのだと気づく。
このように松岡は、伝統の面影を現代に見出す。伝統の意味が消え去り、形だけが残された風景にスポットライトを当てる。日常的な風景が、松岡の手によって日本の伝統や歴史と結びつけられたとき、目に入る様々なものが一層鮮明に感じられるだろう。
また、この本自体が「見立て」や「あそび」という日本文化の伝統を踏まえている点に、松岡の編集技術が光る。祝詞と野球の応援のように、あえてキーワードと写真にズレを作っているため、まず自分でじっくり二つの関連性を考えてからページをめくって答え合わせをするという「あそび」をすることができるのだ。異なるものを組み合わせてそこに繋がりを見出すという遊び心は、浮世絵を中心に昔から日本の美術を彩ってきた。
本書を読むことは、読書であると同時に「あそび」でもある。したがって深い内容でありながら気軽に読むことができる。120のキーワードの中から気になるものだけを選んで読んでもいい。一日につきひとつのキーワード、と決めてゆっくり読むこともできる。ぜひ本書を通して松岡の魅力を味わいつつ、日本の伝統文化のなかで遊んでみてほしい。
書き手:伊東愛奈