作家(翻訳者等含む):著/キム・スム 訳/中野宜子 出版社:アストラハウス 出版年:2022年
1987年6月9日は、韓国の歴史において象徴的な日である。
全斗煥軍事政権に対する反政府デモの決起大会が行われた日だ。民主化のための国民大会を翌日に控えて決起大会が開催されたその日、警官隊によって発砲された催涙弾が、一人の大学生の頭部に直撃した。それが導火線となって激化した民主抗争は、ついに政府の民主化宣言を勝ち取ったのだ。その後間もなく被弾した大学生は亡くなり、民主化運動を象徴する悲劇の英雄として韓国史に名を刻む。
今回紹介する『Lの運動靴』は、こうした背景を元に書かれたノンフィクション小説だ。2015年某日、美術修復家である「私」の元へ、ある運動靴を修復して欲しいとの依頼が持ち込まれる。ボロボロになった、片方の、量産の運動靴。物質としてはそれ以上の何ものでもない運動靴の修復に、「私」は様々な疑問や葛藤を抱きながら、価値とは何なのか思いを馳せる。
小説は2部構成となっており、終始一人称視点で物語が展開する。依頼を持ち込まれた「私」は、同僚や先輩、依頼主との会話や彼らの人生に纏わるエピソードを聞き、そして自らの作業を通じてLの運動靴への思索を深めていく。
実在の作家・作品に関する記述や、美術修復家の仕事風景が繊細かつ鮮明に描写される点には、ノンフィクション小説であるが故に著者の手腕が色濃く発揮されている。キム・スム氏は、実際に件の学生運動家の靴を修復したキム・ギョム氏に綿密なインタビューを重ね、この作品を書き上げたという。「私」が作業しているシーンなどは、思わずこちらも息を止めてしまうほどの集中が感じられる。
韓国の民主化と、現代に生きる人々。大義の体現たる運動靴は、この二者を繋ぐ橋渡しとなる存在で、「私」はそれを修復することを望まれている。
作品の修復とは、単にその物体の状態を復元するだけではなく、そこに付随する価値や〈本質〉といったものをも保全することだ。修復という行為の中で、どんな作業をどこまで施すことが、その物にとって必要なのか。美術修復家としての「私」の矜持と、そこに併存する大きな責任への重圧が、内省的な文章で表現されている。
作中で「私」は大小様々な選択を強いられる。Lの運動靴の依頼を受けるのかどうか、どこまで修復するのか、何を使って修復するのか。選択とは、価値判断だ。後世に残していくべきであるという人々の価値、あるいは価値があるはずだという期待を、「私」は一手に担わなくてはならない。
一人称視点での作品では、「私」が知らないことは読者も知り得ない。そしてそれ以上に、明文化されていない「私」の思いも、読者は知り得ないのである。本書は、朴訥とした独特の文体で、歴史との対峙や人々の記憶との向き合い方、価値判断の答えのない難しさを、読者に投げかけてくれる。
来たる6月9日は、ぜひ「私」と一緒に、自分なりのLの運動靴へのアプローチを考えてみていただきたい。
書き手:せを